2014年05月30日

『日本とユダヤ 運命の遺伝子 (ムー・スーパーミステリー・ブックス)』久保 有政



書店の古代史コーナーで発見して迷わず購入しました。著者の久保有政氏の著書を既に何冊か読んでいて面白かったからです。

私は単純な日ユ同祖論者ではありませんが、古代において日本にユダヤ人やユダヤの宗教や風習が入り込んだで有ろうことは信じております。

既に日本に古来から伝わる風習の多くがユダヤ人と関わりがあるという本は多く出ており、そのうちの何冊かは読んでいます。

しかし「遺伝子」レベルでの調査結果について、どこかで耳にはしていましたが、確認はしておりませんでした。

それで本書の副タイトルである「運命の遺伝子」に惹かれたわけです。

ただ、本書ではいきなり遺伝子の話には入らず、まず、日本人が中国人や韓国人と、これほど地域的に近いにもかかわらず、あまりに「似ていない」というところから語り始めています。

すると、ああ、なるほど、これほど近く、実際に漢字を始めとして様々な文化的な影響を受けながらも、確かに国民性というか民族性がかなり異質です。

そう読者が考え始めたところでようやく、「実は遺伝子レベルで見ると、日本人は隣国の中国人や韓国人とかなり異なることが分かっている」という話になります。

ですから読者は「ああ、そういうことだったのか」とすんなりと納得してしまう構成が上手いですし、読みやすいです。

Y染色体におけるDNAが「D系統」が日本人の40%に確認されていますが、この系統は中国人や韓国人にはほとんど見られません。それだけではなくこの「D系統」は世界でも珍しい系統で、日本以外で多いのはチベット方面くらいです。

ところがこの「D系統」は、遺伝子的にこれまた珍しい「E系統」と同一の先祖から分離したこと分かっています。

この「E系統」が広く分布しているのがユダヤ人だというのです。

そして本書ではさらに細かくDNAの分布と各地域や民族の関係を明らかにしたあと、日本に2系統のイスラエル人がたどり着いたことを裏付ける事実を語り始めます。

そして日本に伝わる神道がユダヤ教と原始キリスト教(メシアニック・ジュー)の影響を濃厚に残していることを解説します。

私はこの手の話を決して荒唐無稽だとは思いません。古代は国境も税関も無く、現代以上に世界の人々が自由に交流していたと考えているからです。

そして何より、遙か彼方のイスラエルの地から、極東の島国にたどり着いた人々がいたという説に、壮大なロマンを感じるのです。

ですからページをめくる度にわくわくしました。

これからもこの手の話を楽しみたいと考えております。


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2014年05月25日

『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか 最強11神社―八幡・天神・稲荷・伊勢・出雲・春日・熊野・祗園・諏訪・白山・住吉の信仰系統』島田 裕巳



タイトルに飛びついた本です。確かに八幡神社は最も多いにもかかわらず、その理由や八幡の由来は知らなかったからです。

しかし、本書にはその理由については書かれていませんでした。この点はがっかりしました。

ただ、本書で改めて気付かされたのは、日本の神社に祀られている神々が、必ずしも日本書紀や古事記に記された神々ではないということです。外来の神もあれば、歴史上の人物が祀られた場合もあります。

また、神仏習合により、神々の伝播に仏教が大きな役割を担ったことも、改めて思い出させられました。

そして本書では、日本でポピュラーな神々を祀る神社11社を取り上げ、そこで祀られている神の由来や仏教との関係についてかなり詳しく書かれています。

ところが(私にとって)残念なことに、本書の内容あるいは構成は、つまらないものでした。

既にどこかで紹介されている文献からの寄せ集めに過ぎず、著者ならではの考察や大胆な推理が感じられないのです。

そのため、各神社の由緒や神の由来について詳しいことは詳しいのですが、読みづらいし、次のページをめくるわくわく感が全くありませんでした。

オリジナリティーが感じられないからかもしれません。

以上の理由により、本書は11の神社に関するガイド本として、ときどき参照するには良いかもしれませんが、読み物としては面白く無いと感じました。


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2014年05月23日

『古事記に隠された聖書の暗号』石川 倉二



この著者のデビュー作だであることは後で知りましたが、書店で偶然に発見して購入しました。

私はコテコテの日ユ同祖論者ではありませんが、古代においては世界に国境は無く、現在よりも人々は自由に往来しており、人と共に文化や技術、宗教が世界を移動していたと考えています。

日本の古代においても、ユダヤ発祥の文化や宗教が日本に入り込み人々に影響を与えたであろうとは考えております。

ですから、日本古来の宗教や風習に、古代イスラエルの文化や、場合によっては血が入り込んでいたとしても驚きません。

そして、その手の話が大好きなのです。いずれは自分でも調べてみたい、と考えている分野でもあります。

さて、本書は『古事記』が『旧約聖書』や『新約聖書』をベースに書かれた歴史書である、ということを分析して見せようという本で、これまでにないのは、『古事記』の神々に関する記述方法や構造にあるルールを見つけ出した著者が、実際にそのルールに従って『聖書』との比較を行うという内容です。

斬新だと目を見張ったのは、『古事記』には意味不明な神の名を羅列する記述が多いことが以前から気にはなっていたのですが、著者は、この羅列は一度に紹介される神々の数(柱)によって『聖書』との関係の仕方を決める法則がある、ということを見つけたことです。

その法則が正しいかどうか私には分かりませんが、確かに意味不明だった神々の羅列が、俄然意味を帯び出すのを見せつけられると、思わず興奮しました。

なるほど、著者にとって、この『古事記』の神々の名前の羅列は、全て意味があったのです。

また、『古事記』に記載されている神々の関係性を系図にすると、見事に『聖書』に登場する人々の系図に重なるところは圧巻でした。

ただ、所々やや強引な対比や解釈もありますし、後半はあまり『聖書』に関係の無い、ただの『古事記』解説に流れてしまっていたのが少々残念です。

それでも、『古事記』の解釈と日ユ同祖論の新しいアプローチは画期的でした。

今後の研究を期待したい著者です。


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2014年05月07日

『悪中論 ~中国がいなくても、世界経済はまわる』上念 司



この手の本を良く読まれる方であれば、タイトルからすぐに、

「ああ、室谷克実氏の『悪韓論』と三橋貴明氏の『中国がなくても、日本経済はまったく心配ない!』のパクリか二番煎じだな」

と思われたかもしれません。実際、私は思いました。

それでも、対象国が韓国では無く中国なので、出版社のマーケティングにまんまと嵌まることにして読んでみました。

Amazonのレビューではかなり極端な批判もされていますが、個人的にはなかなか勉強になりました。

確かに著者は中国の専門家でもなく、経済学者でもありませんが、統計や歴史、マスコミの記事などを広く参考にしながらも、中国の現状を分かり易く説明できていると思います。

特に経済統計上のグラフが多用されているのは大変に分かり易いですし、何となく中国は経済的には大国となったようだ、という漠然とした印象を持たれているひとであれば、「あれれ?」と首を傾げてしまう情報が盛りだくさんです。

また、経済データだけでなく、中国共産党の政争や資源外交の実態、歴史的な中国の法則など、多角的に中国が本当に絶好調であるのかどうかを検証して見せてくれます。

その上で、果たして中国経済は崩壊するのだろうか? という疑問に最終章で答えようとします。

マスコミ報道での中国しか知らない、という人には一読をお勧めします。


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『知の武装: 救国のインテリジェンス』手嶋 龍一, 佐藤 優



本書は手嶋龍一氏と佐藤優氏の対談集です。

テーマは国家の運営に必要なインテリジェンス、すなわち情報を分析する能力についてですが、まず前書きで手嶋龍一氏が定義している文章を引用します。

「インテリジェンスとは、国家の舵取りを委ねられた指導者がその命運を賭けて下す決断の拠り所となる情報を意味する」

鋭利な刃物を定義するような文章です。

そして本書では、このインテリジェンスの具体例として、彼らが対談しながら現在の国際情勢を、僅かな情報を頼りに深読みしてみせるという試みで示していきます。

二人の情報の扱い方は実に大胆かつデリケートです。おお、そんなところまで深読みするのか、と興奮しながら読み進められました。

但し、全ての分析に賛同は出来ませんでした。例えばTPPや沖縄の米軍基地移転問題に対する彼らの読みは少々納得出来ないところが有りました。

しかし、第一章の冒頭から2020年の東京オリンピック決定に至る背景の分析には驚かされましたし、第二章で2013年5月14日に北朝鮮を飯島勲内閣官房参与が訪れたことについて、数枚の写真から実に多くの情報を引き出して見せるところは名探偵の推理が語られている様な快感がありました。

それらの写真は、私などが見れば何の変哲もない新聞紙面に掲載された写真ですが、手嶋氏と佐藤氏にかかるとこれほど多くの情報が読み取れるのかと驚きます。

第三章ではスノーデン元CIA職員、第四章では尖閣問題、第五章ではTPPと、具体的な問題の深層を実際に二人が読み解いて見せます。

そして第六章から八章までは、インテリジェンスが国際社会で国家を運営するためにどれほど必要で、日本の現状はどうであるか、ということが語られます。

ただ、第六章ではインテリジェンスが学んで身に付けられるものではないという残念な結論を突きつけられます。まず、佐藤氏が言います。

「それは理屈で捉えられるものじゃないが、天才の直感によってなら捉えられる」

それを受けて手嶋氏も言います。

「インテリジェンスは、情報機関の研修所で教科書を使って教えられるようなものじゃない」

だからインテリジェンス・オフィサーは養成するのではなく、発見する必要があるという結論になります。

当然、凡人(以下)の私が本書を読んでも、インテリジェンスの技能は寸分たりとも向上しません。

それでも、本書を読んで、インテリジェンスのなんたるかが少しでも分かれば、世界の見え方が変わってきそうな気がしました。


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2014年05月06日

『ゆかいな仏教』橋爪大三郎, 大澤真幸



出版社は異なりますが、本対談は前著『ふしぎなキリスト教』と同じコンビによるものです。

対談形式も雰囲気も前著と同様ですが、流石に仏教は難解であるため、対談の内容も一筋縄でいかず、前著以上に屁理屈のこね回し合戦の様相を呈しています。

とはいえ、その理屈をこね回すこと自体を対談者達が楽しんでいるため、読んでいるこちらも難解な仏教を楽しみながら考える事になります。

既にAmazonのレビューでは、自称もしくは自認仏教専門家たちから、あからさまな批判を受けていますが、仏教的には彼らの批判もまた「分かっていないなぁ」ということになるでしょう。

何せ仏陀の教えが分かったときには成仏しているわけですから。これすなわち悟りですね。

仏教なんぞ、寺の坊主ども──失礼、僧侶たちでさえ、分からないわけで、釈迦自信がそれこそ気の遠くなる長期間(輪廻転生を含む)で修行しているわけです(とまで伝えられるほど、悟りは遙か彼方)。

ですから、仏教を語るには、「分かった気がする」レベルでよいのではないか、と私などは暴言を吐いてみたくなります。

本書では、仏教の始まりを、釈迦が生きたインドの社会背景から辿っていきますので、初心者にも非常にとっかかり易いのではないでしょうか。

いきなり哲学的な考察は難しすぎますから、まずは釈迦が仏教を唱えたくなった背景を知ることは、良い対談の始め方だと思います。

そして葬式仏教に馴染みすぎてしまった我々のために、まず初期仏教(所謂小乗仏教や原始仏教)の考え方を確認します(あるいは推測します)。

その上で、大乗仏教が生まれた必然性と仏教が普遍宗教となった経緯が考察されます。

その延長で、最も新しい仏教である密教が、果たして仏教と言えるのかどうかということも含めて、その教義について考察します。

最終章の「結び いま、仏教を考える」では、現在の国際社会で仏教を再考察してみる意義について述べられていますが、ここでは仏教の4つの特徴に意義が有るとしており、それが面白い終わり方になっています。

その4つとは、「個人主義的」「自由主義的」「合理的」「理想主義的」です。

仏教的な視点から世界を見ると、確かに面白いはずです。

とにかく、仏教という難解な宗教を、確かに「ゆかいな」対談を楽しみながら「理解できそうな気になれる」本です。


posted by しげぞう at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『呆韓論』室谷克実



出版社は異なりますが、前作『悪韓論』の続編と言っても良い著書です。また同じ様な事が書いて有るのだろうと思いつつも、つい買ってしまいました。我ながら流行に弱いのか?

そして実際に前作『悪韓論』と基本的には同様の韓国感が書かれているのですが、本作は前作以上に著者の韓国経験が活かされた内容になっているように感じました。

ボリュームもアップし、改めて韓国のまさに「呆れた」実態を思い知らされる事になります。

と同時に、あの幼稚で下品な振る舞いがどのような経緯で行われているのか、前著以上に分かり易く書かれているように感じます。

それにしても、前著『悪韓論』であれだけ韓国の奇天烈さが明らかにされたにも関わらず、本書でも全くネタ切れ感がないばかりか、まだまだいくらでも奇天烈な事実が出てくるところこそ、まさに『呆韓論』のタイトル通りの国であることに、改めて呆れてしまいます。

日本を蔑むことで優越感に浸って居なければいられない彼らは、そのためならば平然と歴史を捏造し、世界に誇れる文化が無いが為に、他国の優れた文化を片っ端から韓国が発祥だと呆れた嘘をつき、買春大国でありながら何故か性犯罪大国でも有り、韓国にとって悪い事があれば、全て日本のせいにする。

韓国の呆れた実情を上げ出すと切りが無いので、以下に章タイトルだけ紹介しました。

韓国って、どうしてあんなにイカレタ国なの? と常々思われている方は、本書『呆韓論』や前作の『悪韓論』を読まれると、実は知っていた以上にイカレタ国であることがわかり、さらに呆れることになります。

以下、章タイトルです。

──
はじめに
序章 妄想と非常識に巻き込まれた日本
第1章 「自由と民主主義」の価値を同じくしない国
第2章 恥を知らない国際非常識国家
第3章 反日ならすぐにバレる嘘でも吐く
第4章 世界から軽蔑される哀れな反日病
第5章 歪みだらけのオンリー・イン・コリア
第6章 呆れかえるウリジナルの暴走
第7章 本当に恐ろしい人間差別大国
第8章 「売春輸出大国」の鉄面皮
第9章 わかりあえない不衛生・不法・不道徳
第1 0章 反撃の種「対馬」の仕込み方
終章 官邸、皇居の耳目役への警鐘
おわりに
──


posted by しげぞう at 19:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『調べる技術・書く技術』野村 進



前回2冊続けてゴーストライター(ご本人はブックライターという名称を提唱)の上阪徹氏のライターとしてのノウハウや考え方について読み、大変面白く為にもなったという満足感があったのですが、同氏の仕事はとにかく著名人に会って、話を聞いて本にまとめるという、かなり狭い範囲のゴーストライターを対象にした内容でした。

そこで今度は、ルポライターという、とにかく資料を調べ、人に会い、現場に行き、そして集めた情報を記事にまとめるという、より多くの技術を必要とする仕事についての技術についてまとめた著書が読みたくなり、野村進氏の『調べる技術・書く技術』を読んでみました。

結果、これまた非常に満足しました。ルポライターの大変さがわかると同時に、それを乗り越える好奇心とプロ根性、そして情報収集能力と技術に驚嘆しました。

本書は大変に読みやすい文章の見本でもありますが、惜しげも無く紹介されているルポライターの現実とノウハウは、当たり前ですが、ベテランのルポライターでなければ書けない凄みのある内容となっています。

しかし本書に書かれている情報収集術と記事にまとめる技術は、一般人にも役に立つと思われます。

また、一次情報に接することの重要性と難しさについても改めて教えられました。

本書の読みやすさは、章タイトルを見るだけでも分かります。章タイトルが、そのままルポライターの実践すべき手順になっているからです。

 第一章 テーマを決める
 第二章 資料を集める
 第三章 人に会う
 第四章 話を聞く
 第五章 原稿を書く
 第六章 人物を書く
 第七章 事件を書く
 第八章 体験を書く

そして著者がルポライターを続けてきたことで得られたことが最後に記されています。

その本文の最後の文章が感動的でした。ネタバレにならないように、本当に最後の一文だけ紹介します。

「この仕事を四半世紀も続けてきて、ひとまずたどりついた結論は、自分でも拍子抜けするほどシンプルなものであった。」

どのような結論であったかは、本書を頭からお読みいただけると納得できます。私は感銘を受けました。

ルポライターを目指さなくとも、文章を書くことがある人にはお勧めしたい本です。


posted by しげぞう at 19:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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