過去の長谷川氏の主張(非武装主義者?)を持ち出して、本書で長谷川氏が平和ボケを批判していることを批判している人達が居るようですが、こちこちの原理主義を貫いて、環境の変化に対応できずにいる言論人よりは、柔軟で宜しいのではないかと思います。
さて、本書では、まず冷戦終結後の国際情勢を俯瞰し、もはや世界大戦レベルの戦争は起きないであろうという根拠と、テロという新しい犯罪について解説しています。
と同時に、これまで日本が平和を享受して来られた条件や環境が、大きく変わってしまったことを警告します。
その警告を発した上で、クラウゼヴィッツの戦争論の解説が始まります。
クラウゼヴィッツの戦争論は、戦争を考える教科書としてはもはや古典ですが、まだまだ学ぶべき事はある、という意味で解説されているのかなと思いながら読み進めました。
しかし著者の意図は逆で、現代がもやはクラウゼヴィッツの戦争論では解釈できない戦争の時代に入ったのだ、ということを説明するために、多くの紙数を割いて、クラウゼヴィッツの戦争論を解説していたのでした。
それは、核兵器の登場に依ります。
そして核兵器は使えない兵器であることを説明しながらも、戦争に対する政治責任の重さが肥大化したことや、巷で流行っている米国衰退論とは逆に、まさに米国一極支配が始まったのだ、という結論を導き出します。
非常に歯切れの良い論理展開で、ぐいぐいと読ませられてしまい、少々混乱させられてしまいますが、結局の所、軍事力無き外交は無力で有り、平和を維持するには戦争を起こさせないための軍事力が必要なのだ、という辺りに落ち着きます(私はそのように読みました)。
ただ、長谷川氏の著書を読む度に、どうしても経済に関する解釈(
アベノミクス肯定)だけは見解が異なり、その部分で、長谷川氏は楽天的過ぎると思ってしまうのでした。