2016年01月25日

『崩れゆく世界 生き延びる知恵』副島 隆彦, 佐藤 優



本書は、最近対談ものが多い副島隆彦氏と佐藤優氏の対談です。対談本の難しさは、知的レベルや教養の差がありすぎても困りますし、対談者の意見が食い違いすぎてもまとまりません。かといって、全く同じ意見の二人が対談したのではおもしろみがありません。

その意味では、副島氏と佐藤氏の対談は、非常にスリリングで有りながら、それぞれが安定した知性を背景にして語っているため、刺激的な読み物となっています。

イスラム国の脅威やウクライナの政変を取り上げ、世界で起きている事が日本に及ぼす影響を語り合います。

お二人とも、テレビなどのメディアからは(政府の指示で? あるいはマスコミの自主規制で?)取り上げられない人たちですから、商業主義的なスポンサーや政府(政府だってテレビにとっては大口スポンサー)に媚びない意見を投げ合えます。

そのため、テレビや新聞からは知ることのできない情報や考え方をふんだんに味わえ、ページをめくる度に「アハ」体験できるでしょう。

例えばピケティの格差論に大衆が喜んでいることに対し、官僚独裁社会への警鐘を鳴らします。

また、インフレターゲット政策や株価操作政策に対しても、それらがどのように反知性的な政策であるかを解説します。

日頃、テレビや新聞を通して世の中を見ている人にとっては、驚きの連続かも知れません。自分が洗脳されていることに気付く機会を得られるかも知れません。

まぁ、洗脳されている方が幸せかも知れませんが。

また、私の様な物を知らない者にとっては、知性以前に知識や教養がなければ世の中でおきている事を理解出来るはずがないということを、厳しく思い知らさせてくれる本です。
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2016年01月18日

『明治維新という名の洗脳 150年の呪縛はどう始まったのか?』『洗脳経済 150年の呪縛』苫米地 英人




今回は上記2冊の本を続けて読みました。同日に出版された本で内容も繋がっていますが、どちらを先に読んでも理解し易いですし、興味深く読める内容です。

まず『明治維新という名の洗脳 150年の呪縛はどう始まったのか?』では、日本人に刷り込まれている明治維新が素晴らしい民主革命であったという印象は、洗脳された結果として持たされてしまった印象だということから脱洗脳が始まります。

特に、(私もそうですが)司馬遼太郎の作品に出てくる明治維新が、明治維新の本当の姿を隠してしまい、NHKが司馬作品を多く利用して国民を洗脳してきたことまで言及しています。

また、明治維新が欧米からの植民地化を防いだ偉業であるという印象も嘘で、欧米の金融支配を許すことと引き替えに薩長が行った特権階級による恐るべき日本支配の仕組み作りが、明快に暴かれていきます。

特に冒頭で、「長州藩」という実在していない藩を、(私もでしたが)多くの日本人が実在していると信じていることから、洗脳の成果を指摘されたことで、一気に引き込まれていきます。

そして『洗脳経済 150年の呪縛』では、より経済に重点を置き、明治から日本国民を経済奴隷として洗脳してきた欧米の金融資本とその手下となることで特権階級となった薩長の活動が、現在も続いていることを明らかにします。

タイトル通り150年続いた洗脳は、未だに国民を経済奴隷であることから目覚めさせないように仕組まれていることを明らかにします。

そのためにマスコミが利用されていることなども明らかにします。

若干、『洗脳経済 150年の呪縛』の方が、後半難解な部分が出てきますが、読み始めたら止まらなくなります。

そして、読者は、自分たちが洗脳された経済奴隷であることを知らされるのですが、今後の行動は読者自身の決断に委ねられます。

著者は、国民が覚醒することを願いつつ筆を置きますが、残念ながら私個人が辿り着いた結論は、

──奴隷のままで構わないから、ささやかな幸せに満足して安らかに逝きたい──

でした。

そう、この洗脳は、既に隷属していることから脱する意欲すら持たせないほど強力な様です。


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2016年01月07日

『日本とユダヤ 聖徳太子の謎』久保 有政



聖徳太子にキリスト教の影響があるのではないか、ということは以前から言われていましたが、学会ではこのテーマを深掘りすることはタブーのようです。

そのため、歴史家から聖徳太子とキリスト教を関連づける書は出されていませんでした。

聖徳太子もイエスも、馬屋で生まれたこと。両者とも王家の血を引いていながら悲劇的な最期を遂げていること。子孫を残していないこと。共に大工の信仰が厚いこと。共に未来を予言(預言)したこと。

これらの謎に挑んだのは、日本古代にユダヤ教や原始キリスト教が入り込んでいたことを研究し続けてきた久保有政氏でした。

私は氏のファンであり、氏の著書は既に何冊か読んでいましたので、本書には既著と重複する話も多く出てきましたが、テーマが聖徳太子ということでしたので、新鮮な気持ちで読めました。

まず、衝撃的だったのは、聖徳太子は本当に仏教徒だったのか、という疑問を提示していることです。そして、数々の傍証から、太子が実は何らかの一神教を信仰していた可能性が高い、という疑惑を浮き上がらせていることです。

次に、太子に寄り添うように存在していた秦氏の正体を、古代神道の正体と共に明らかにしていきます。その神道には、明らかに原始キリスト教の影響が見られるのです。

また、太子の死後の扱いにも注目します。何故、王家の血を濃く引いた太子が、当時のしきたりだった殯(もがり)もされずに即効で埋葬されたのか。そこに暗殺の可能性を探ります。

そして太子由来の寺社仏閣に隠されたキリスト教の痕跡や、地名に隠された謎が解かれます。

さらに日本神話の系図と旧約聖書の類似性も興味深く説明されています。

また、仏教界が聖徳太子を仏教の立役者であるとでっち上げた可能性と、その虚像が日本人に刷り込まれてしまった可能性に関する説明は、とても説得力があります。

聖徳太子ってなんだか良く分からない、あるいは法隆寺や四天王寺ってなんだか怪しい、などと思っている人には是非読んで欲しい本です。
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2015年12月14日

『東大医学部生だけが知る 超・知的生産法』岩波 邦明



期待して購入しましたが、はっきり言って期待外れの内容でした。

第一章で、集中力を妨げるゲームなどの誘惑的なものは、2時間までにするといった制限よりも、いっそ全くやめてしまう「遮断」こそ効果がある、という考え方には共感しましたが、本書で役に立ったと言うより、既に実践していて共感できたのはここだけでした。

あとは、日常の小さな無駄をなくして塵も積もれば方式で勉強などのための時間を捻出するのだ、という心がけの問題や、気持ちのもちかたというよりは遠回しに語られた根性論だと受け取れます。

正直、無理矢理に本一冊分(それも薄いですが)のボリュームにするために、小手先の時間捻出のための小細工を集めまくった、という印象を受けてしまう内容でした。

そして、学習なり創作なりをするために、こんなせせこましい、はっきり申し上げて貧乏くさいちまちました心がけをせねばならないのかと、がっかりします。

知的生産を、全く楽しめない本です。

また、文章も機械的で味気なく、読後に何も残らない本でした。

知的生産を楽しむのであれば、他の本を当たった方が良いでしょう。


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2015年12月11日

『賢者の戦略』手嶋 龍一, 佐藤 優



既にシリーズ化している手嶋龍一氏と佐藤優氏の国際情勢を語り合う対談ものです。

私は基本的に対談物はあまり好まないのですが、このシリーズは楽しみにしております。

両氏の対談を読むと、現在の国際情勢が見えてくる、といったレベルでは無く、余りに自分が無知で洞察力のかけらも備えていないことに悲しくはなるのですが、同時にマスコミの洞察力もどうよ、と気付かせてくれます。

今回はウクライナ問題が、一地域の問題では無いことを解説することから始まり、やはり現在話題のイスラム国と近代国家の違いや米・イランの関係への影響について語り合います。

その後、東アジアの現状がいかに危険なパワーゲームにあるかを語り合い、その下地を作った後で、集団的自衛権について考察します。

特に、同盟関係が戦争をもたらすという因果関係には、はっとさせられました。

最後の章ではインテリジェンスのあり方について語り合うのですが、印象的な対話があります。

手嶋:国家のインテリジェンスが携わる者が決して忘れてはいけないものとは何かを話し合ってみましょう。

佐藤:ひとことでお答えします。それは「愛国心」です。

私は感動しました。国家権力によって無実の罪(だと思う)で逮捕された佐藤氏が「愛国心」を語ることの重みに感じ入ったのです。

そして、佐藤氏が逮捕されたとき、ロシアやイスラエル、韓国他からインテリジェンス・オフィサーとしてスカウトされたという裏話とその引き抜きで提示される相場についての話しも興味深いです。

そして毎度のことですが、両氏の対談を読む度に、現在を知るにはどれほどの歴史に関する教養が必要であるか、ということを思い知らされます。

また、政治や経済、地政学だけでなく、宗教に対する教養も無ければ、多様な文化と利害関係が絡み合っている国際情勢を読み解くことは無理だなぁ、と思わされます。

インテリジェンスを持ち合わせていない私としては、既に次の対談が楽しみになっています。
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2015年11月10日

『移民亡国論: 日本人のための日本国が消える! 』三橋 貴明



これほど移民政策の恐ろしさを明確に語った本は少ないのでは無いでしょうか。タイトルもずばりです。

三橋氏は、自民党がレトリックを使いながら進めている「移民政策」の本質を見抜き、経済的な側面だけで無く、社会的な面や国家の維持という面から移民政策の危険さを明快に解説しています。

特に、諸外国での移民政策の顛末が、いかに凄惨な状態であるかを紹介しているところは、日本の移民政策を考える上で、非常に分かり易いでしょう。

また、デフレ脱却を謳う安倍政権が、すっかり竹中平蔵等のグローバル資本主義者らの傀儡政権になっていることは、その経済政策の矛盾からも明らかですが、本書では移民政策においても、安倍政権がグローバル資本主義者等の元に跪いていることを示しています。

それにしても、最近の三橋氏の著書は鬼気迫る者が有ります。

マスコミも学者等も、その権力を恐れてグローバル資本主義者らには逆らいません。いつ社会的抹殺に追い込まれるか分からないからでしょう。

逆に従順な犬であれば、美味しい餌がもらえるのでしょう。

グローバル資本主義者らは、日本国民が貧しくなることで賃金の低下を実現でき、国際競争力を得られます。

最近、三橋氏にスキャンダルが捏造されないか心配しています。小泉政権における竹中平蔵等の売国行為を追跡していた最中に、痴漢をしたとして捕らえられた植草一秀氏を思い出さずにいられないからです。

真相は闇の中ですが、グローバル資本主義者に立ち向かうことは危険なことを示しているのでは無いでしょうか。

しかし、三橋氏は本書で、堂々とグローバル資本主義者らに立ち向かっていると言えます。

本書は、多くの日本人に、日本という国家が存在する内に読んで欲しい本です。

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2015年10月16日

『ケインズの逆襲、ハイエクの慧眼』松尾 匡



読み終えてからずいぶん放置してしまいましたので、内容を大分忘れてしまっています。一体何のための読書だったのか、とも自省しますが、忘れることをあまり気にしていては楽しい読書はできないので、ある程度は忘却は仕方ないと諦めるこの頃です。

さて、本書の内容を忘れてしまったのは、私の記憶力の問題だけでは無いと思っています。

つまり、本書がタイトルほどのインパクトが無かったということです。

書かれていることは納得出来ることが多かったと記憶しているのですが、もっと現政権の経済政策のお粗末さについて、ケインズ的視点からぐいぐい批判して欲しかったという期待があったのかもしれません。

逆に言えば本書は、バランス良く書かれているのだとも言えそうです。

まず、この30年ほどに世界で行われた経済政策がことごとく失敗していることを紹介します。特に小さな政府への失敗ですね。

次にソ連型経済の失敗や福島第一原発事故の失敗などを、誰が判断と政策の権限をもっていたのかということに着目して分析します。

そしてハイエクについて、単に自由主義の巨匠だから悪だ、というわけではなく、現在の経済政策にも役立つ主張をしていたのだというあまり知られていない部分に光りを当てています。

次にケインズを批判した経済学者の主張を紹介し、ゲーム理論を活用して日本型雇用などが終焉を迎えた理由を探ります。

そしていよいよケインズによる不況脱出の経済政策を紹介し、何故、今ケインズなのかについて最もページ数を割いて解説します。ここはケインズ支持派の私としては期待していたところです。

最後に福祉社会のあり方について終わるのですが、この終わり方はなんだか良く分かりませんでした。

全体的に、読みやすく親しみ安い文体で書かれていますが、実は下知識が無いと理解しにくい理論展開もあり、印象ほど平易な本ではありません。

経済学入門者には、実は向いていない本だと感じました。
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2015年10月15日

『未来の働き方を考えよう 人生は二回、生きられる』ちきりん



日本人の平均寿命がますます延びる一方で、年金支給開始年齢が上げられています。それに伴い、定年退職の年齢も上げられようとしています。

つまり、一度就職して、もしもその会社で定年退職まで働いた場合、例えば大卒の23歳から65歳、あるいは70歳まで働くと、42年間もしくは47年間同じ仕事を続けることになります。

年金支給開始年齢が70歳になれば、成人してからの人生の殆どを一つの会社や仕事に従事して過ごすことになるわけです。

著者は、それはたまらない、と言います。せっかくの人生を、そんなよぼよぼになるまで、お金の為だけに就職した先のつまらない仕事だけで終わらせたくはないのだと。

たしかに言われてみれば、ぞっとする話しで、会社員の多くは生活のために実につまらない人生を送っているのかもしれません。

そこで著者は提唱します。40歳くらいで転職しましょうと。前半はやりたいことも分からないし、働くと言うことも分からないから、とりあえずは就職すれば良いと。

しかし40歳くらいになったら、今度はやりたいことがみつかっているであろうから、好きな事をして生きるべきだと。

確かに共感できる考え方ですし、非常に魅力的な提案ではあります。

しかし、現実は著者が言うほど生やさしくはありません。まして政府の大本営発表とは逆に、景気はますます悪くなっています。

著者自身は、自分は実際に、前半は会社勤めして、後半は好きな事をして生きていることを実証できていると主張していますが、著者であるちきりんさん自身、高学歴で外資系企業で経験を積み、世界を股に掛けて働いていたキャリアウーマンです。

しかも、若くして会社を辞めた頃には持ち家のローンも支払い終えていたと書かれていますから、相当給料も高かったのでしょう。

つまり、著者の実績は、特別に優秀な人の例でしか有りません。

そして著者が、途中で仕事を変えて成功したとして本書で紹介している人達もまた、高学歴で才能や運に恵まれた「普通では無い」人達ばかりです。

彼らの、好きな事を仕事にして、好きなときに働き好きなときに遊ぶ生き方は憧れますが、普通の人でも誰でもできると主張する著者には根拠が一切示されていません。

本書では、実に見事に、長い人生で一つの職業だけにしがみついていてはつまらないし、リスクも高いことについて様々なデータを参照しつつ論理的に語っています。

この部分は非常に共感できます。

ただ、だから普通の人も会社を辞めて起業したり、もっと好きな仕事に転職して、しかも働く期間と遊ぶ期間を自由に使い分けられる生き方をすべきと提唱していますが、はっきり言って一般人には困難であり、リスクが高すぎます。

途中で起業したり好きな仕事を目指して成功するためには、著者を初めとして、高学歴、貴重なキャリア、特別な才能、若い内に一財産築いていることなどが条件となります。

著者が分析している社会の変貌の予想についてはほぼ共感できますし、40前後で好きな仕事を選ぶ直すべきだという考えには憧れます。

しかし、現実に普通の人が会社を飛び出したら、路頭に迷う可能性が高いことは、肝に銘じておいた方が良いでしょう。

著者が主張するようには簡単では無いと、私は思います。

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2015年09月22日

『カタリ派: ヨーロッパ最大の異端』アンヌ・ブルノン



非常に好奇心を揺さぶる本でした。

私がカトリック教会から異端とされたカタリ派に強く惹かれたきっかけは、ずいぶん前ですが、以下の小説を読んだことがきっかけでした。



















『旅涯ての地〈上〉〈下〉』はマルコポーロの足取りも辿るスケールの大きさに舌を巻きましたし、『聖灰の暗号〈上〉〈下〉』では、カトリック教会から異端として殲滅されたカタリ派の真実を現代人が探るミステリー仕立てに酔いしれました。

これら両作品によって、カトリックよりも真摯に、また純粋にキリスト教徒として生きたことで、カトリック教会の目の敵となり、異端と決めつけられて火あぶりにされて殲滅された人々の、清冽な信仰と生き方に、とても惹き付けられたのです。

それ以来、長い年月の間、忘れてしまっていたその時の感動が、書店で本書『カタリ派: ヨーロッパ最大の異端』を見つけたときに一気に蘇ったのでした。

当然、すぐに購入し呼んだのです。

カタリ派とはどのような信仰と暮らしをしていたのかが本書には書かれています。

丁寧に分かり易く書かれていますが、少しはキリスト教の知識が必要かもしれません。カトリックによるキリスト教の知識でも十分です。

カトリックを知っていれば、却って本書は理解し易いでしょう。

本書を読んで発見したのは、カタリ派は、私が想像していた以上に一時は組織立った活動をしていたことと、想像していた以上に広い地域に亘って信者が増えた時期が有ったと言うことでした。

それにしても、カトリック教会の残忍さは、教会には悪魔が住んでいることを確信できるほどです。

このカトリックの容赦のなさは、カタリ派のキリスト教としての清貧さを一層際立たせます。

カトリック教会によって殲滅させられたキリスト者たちはカタリ派だけではありませんが、その殲滅の規模でいえば、やはりカタリ派は代表的な異端です。

もちろん、異端とはカトリック教会用語であり、イエスの精神から見れば、恐らくカタリ派よりカトリックこそが異端の中の異端ではないでしょうか。

──と書いてきましたが、私はカタリ派に確かに強く惹かれていますが、カトリックを今更に糾弾するものではありません。

教義としては滅茶苦茶だと思っておりますが、数多くの素晴らしい芸術を生み出してきましたし、現在でも世界の多くの人々を、その信仰の拠り所となって救っているからです。

また、時代と共に妥協点を見出しながら、ある程度の柔軟性を持っていることも評価しています。

どちらが善でどちらが悪か、といった話しでは無く、キリスト教の歴史にはこの様な面もあったのだということを知るためには、本書は良き入門書だと思います。

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2015年04月07日

『知的生産の技術とセンス ~知の巨人・梅棹忠夫に学ぶ情報活用術~』堀 正岳, まつもと あつし



1969年に出版された梅棹忠夫著のロングセラーであり名著の『知的生産の技術』を、現在のIT環境の下でどのように活かすのか、ということが書かれているのであろうと想像して購入しました。

Amazonでは批判的なレビューが多いですが、私的には非常に有意義な本となりました。

大凡想像が付いていた内容とは言え、梅棹氏の時代では想像できなかった程に個人が情報を発信するためのツールや環境が揃った現代において、個人が情報を収集し、それを発信にまで繋げる手法について、非常に分かり易く書かれています。

ベースとなるのは梅棹忠夫著の『知的生産の技術』ですが、同書を読んでいない人でも本書は理解できます。

逆に、本書を読んで、梅棹忠夫著の『知的生産の技術』に興味を持たれる人も多いかもしれません。

本書を読んでいて感銘したのは、情報の集め方から発信の仕方までの要領を紹介しているだけで無く、個人が情報を発信する意義についてまで言及していることです。

読み終えた後、個人が情報を発信する勇気とモチベーションが与えられた気がします。

ブログや電子書籍、あるいは商業出版といった狭き門であれ、何かの手段で情報を発信してみたい、と思っている人にはお勧めの本です。
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2015年02月25日

『平和ボケした日本人のための戦争論』長谷川慶太郎



過去の長谷川氏の主張(非武装主義者?)を持ち出して、本書で長谷川氏が平和ボケを批判していることを批判している人達が居るようですが、こちこちの原理主義を貫いて、環境の変化に対応できずにいる言論人よりは、柔軟で宜しいのではないかと思います。

さて、本書では、まず冷戦終結後の国際情勢を俯瞰し、もはや世界大戦レベルの戦争は起きないであろうという根拠と、テロという新しい犯罪について解説しています。

と同時に、これまで日本が平和を享受して来られた条件や環境が、大きく変わってしまったことを警告します。

その警告を発した上で、クラウゼヴィッツの戦争論の解説が始まります。

クラウゼヴィッツの戦争論は、戦争を考える教科書としてはもはや古典ですが、まだまだ学ぶべき事はある、という意味で解説されているのかなと思いながら読み進めました。

しかし著者の意図は逆で、現代がもやはクラウゼヴィッツの戦争論では解釈できない戦争の時代に入ったのだ、ということを説明するために、多くの紙数を割いて、クラウゼヴィッツの戦争論を解説していたのでした。

それは、核兵器の登場に依ります。

そして核兵器は使えない兵器であることを説明しながらも、戦争に対する政治責任の重さが肥大化したことや、巷で流行っている米国衰退論とは逆に、まさに米国一極支配が始まったのだ、という結論を導き出します。

非常に歯切れの良い論理展開で、ぐいぐいと読ませられてしまい、少々混乱させられてしまいますが、結局の所、軍事力無き外交は無力で有り、平和を維持するには戦争を起こさせないための軍事力が必要なのだ、という辺りに落ち着きます(私はそのように読みました)。

ただ、長谷川氏の著書を読む度に、どうしても経済に関する解釈(
アベノミクス肯定)だけは見解が異なり、その部分で、長谷川氏は楽天的過ぎると思ってしまうのでした。


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2015年01月21日

『夢をかなえるゾウ』水野敬也



本書は発売と同時に爆発的に売れた本でしたが、テレビドラマ化されたものを先に見てしまったこともあり、読んでいませんでした。

しかし、たまたまKindleストアで399円の電子書籍となっていることを知ったため、安いと思い購入してみました。

読んでみると、古田新太がガネーシャを演じ、主演の駄目サラリーマンを小栗旬が演じたテレビ版が、実はかなり原作に忠実だったことを知り驚きました。

テレビ番組は笑いを取るためにかなり脚色されているのかと思っていたのですが、原作自体が非常に笑えるコミカルな作品だったのです。

そのため、読みやすく、疲れること無く一気に読み終えてしまいます。

本書は自己啓発書でありながらも、物語仕立てとなっています。

つまり、一人の平凡以下のサラリーマンが、ガネーシャのアドバイスを受けているうちに人間として成長していくというストーリーです。

書かれている自己啓発の内容は、割合に平凡でありふれていると言っても良い陳腐なものですが、それを笑える物語の形で解説しているところが、秀逸です。

とにかく、説教じみて退屈してしまいそうな自己啓発のアドバイスを、読者を飽きさせること無く、笑わせながらも納得させていく巧みさに敬服しました。

また、実在の著名人や歴史上の人物の逸話などが、ガネーシャのコミカルな語り口調で非常に巧みに引用されているところも感心しました。

今の生き方に疑問を感じている読者にとっては、夢と戒めと、激励を与えてくれる、エンターテインメント化された自己啓発書として、良くできた本だと思います。

最後は、目頭が熱くなるほど感動しました。ベストセラーであることに納得しました。


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2015年01月18日

『創価学会と平和主義』佐藤 優



「創価学会」と聞くだけで、胡散臭いと決めつけ避けて通る人は多いのではないでしょうか。

私は特定の宗教団体に属していないことを先に宣言しておきますが、やはり池田大作のアップの写真をみてしまうと、どん引きしてしまいます。

それでも創価学会を基板とする公明党が政権与党にある以上、この団体が国家運営に強い影響力をもっていることは事実で有り、それはすなわち基板団体の創価学会が日本の国家運営に影響をもっていることを示しているでしょう。

しかし私たちは、それほど重要な立ち位置にある創価学会について余りに知らないですし、知らないようにしているとも思われます。

そこに良きガイドブックが登場しました。佐藤優氏が徹底的に公開情報を読み解いて記した本書です。

佐藤氏は常に、公開情報の重要性を主張していますが、本書でもまた、公開情報からいかに多くの情報を読み取れるか、ということを実証してみせてくれます。

ただし、公開情報の分析は、かなり高度な技能とセンスが必要で有ると思っていますので、いくら佐藤氏が公開情報が大事だと主張していても、当方にとっては、やはり佐藤氏の様な人が分析した結果を読むのが(安直ですが)手っとり早いわけです。

さて、7月に閣議決定された集団的自衛権行使の容認について、マスコミの多くが連立与党で有る公明党が党是とする「平和の党」を貫けなかったと批判しました。

しかし、と著者は反論します。公明党こそ、集団的自衛権を骨抜きにした本当の平和主義を貫いたのだと。

集団的自衛権を骨抜きにしたことの是非を語るのが本書の目的ではありません。

本書は、この閣議決定で公明党が果たした役割から、創価学会の力量と、徹底した平和主義を探り、政教分離とは何か、といった問題にまで食い込んでいきます。

そして徹底した公開情報の分析から、創価学会が世界宗教として成長を続けていることを見抜きます。

佐藤氏自身はカルバン派のプロテスタントであり、キリスト教徒です。

そのことが、世界宗教へと発展したキリスト教と比較することで、宗教としての創価学会が目指しているところを見抜く洞察力となっているようです。

創価学会恐るべし。と同時に、創価学会に学ぶことの重要性を、佐藤氏は本書で語っているのだと思います。

創価学会や公明党をアレルギー反応的に避けている人にこそ、本書を薦めます。


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2015年01月12日

『なぜアメリカは日本に二発の原爆を落としたのか』日高 義樹



私は常々違和感を覚えてきたことがあります。広島平和都市記念碑
(原爆死没者慰霊碑)に刻まれた「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という文言です。

この言葉には主語がありません。

確かにさっさと降伏すべき状況になっても降伏しなかった軍部の行動は誤りではあります。また、資源力、経済力においても勝てる見込みがない国に宣戦布告(しかもタイミングがずれた)したことも誤りでしょう。

また、日本が有利な和平交渉を行えるタイミングを逃したことも誤りでしょう。

しかし最も大きな過ちを犯したのは米国では無かったのでしょうか? 彼の国は日本に原爆を落とす必要があったのでしょうか? 謝罪すべきは誰なのでしょうか?

そんな疑問を抱き続けておりましたから、書店で本書を見つけた私は迷わず購入しました。

見た目はチープなデザインの文庫本ですが、大変読み応えのある本でした。

Amazonのレビューでは、本書中の小さな誤りが幾つか指摘されていますが、いずれも瑣末な事でしょう(B-29に50mm機関砲が載せられたや、ドゥーリトル隊の使用機は4発のB-24ではなく双発中型のB-25など)。

問題は、なぜ、ナチスが存在したドイツではなく、日本に原爆が投下されたのか、あるいはなぜ、もはや戦争継続能力を失っていた日本がまもなく降伏すると分かっていながら、完成したばかりの原爆を慌てて日本に投下したのか、ということです。

また、軍部の主立った人達が原爆投下を軍事的に不要であると反対したにもかかわらず、投下されたのはどのような人達の意向だったのでしょうか。

著者の日高氏は、これらの問題を、丹念な情報収集とインタビューで解明していきます。

その結果、私たちが目を背けてきた冷酷な事実が浮かび上がってきます。その結論は、実が誰もがうすうす感じていながらも、敢えて考えないようにしてきたことかもしれません。

さらに後半、著者の目は現在の国際情勢と日本の防衛に目が向けられます。

原爆が投下されたことで、戦争が起きないことを「祈っている」だけで良いのか、と著者は懸念します。そういえば故小室直樹先生も、日本の平和主義者は思考停止した念仏主義者だというようなことをおっしゃっていました。

現在の日本は、平和ボケした人々の祈りとは逆に、またしても原爆を投下されてしまう可能性が高まっているからです。

これもまた、人々が目を背けている事実です。

再び日本に原爆が落とされないためにどうすれば良いのか、著者が示した方向性は、非常に同感できる内容でした。(ネタバレになるので書きませんが)

平和を願っている人にこそ、この手の本を勧めたいと思います。


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2015年01月11日

『日本人の99%が知らない戦後洗脳史 嘘で塗固められたレジーム』苫米地 英人



少々乱暴ではありますが、本書のメッセージを一言で表すとすれば、「現在の日本のあり方は、敗戦国であるということを再認識すれば理解出来る」とい言うことでしょうか(間違っているかもしれませんが)。

まずは、日本が敗戦国になったとき、戦勝国によって何が行われたのかを知らなくてはならないと本書は主張しています。

本書には、歴史の教科書では触れられていない驚くべき歴史認識が書かれています。簡単に紹介すると以下の様な事柄です。

・敗戦時の日本には、アジア全域から貴金属が集められていた。

・天皇家が戦争関連株で巨額の富を得ていたことを、GHQは「天皇はマネーギャングだ」と呼んでいた。

・教科書では財閥が解体されたと教えられる。それならば現在ある巨大企業が三菱、三井、住友の名の下に存在しているのは何故か?

・天皇家の財産は敗戦時、緊密な関係にあった赤十字を経由してBISに流れていた。

・当時の米軍のトップの経歴を洗うと、皆ウォール街出身である。これは何を意味するか?

・米国でも違憲判決が出されていた累進課税を日本に導入した理由は何か?

・NHKの生みの親がGHQであることは何を意味しているか?

・通商産業省を設立した立役者はドッジだったことの意味は?

・経済企画庁の前身はGHQの民政局であるGSが、ある意図を持って設立していた。

・東京地検特捜部もGSが、ある意図を持って設立していた。

さて、以上は本書で扱っているテーマの一部ですが、これだけ見ても、いかに日本が敗戦国であることを忘れているかということを痛感させてくれるのではないでしょうか。

さて、苫米地氏が最後の方で、日本が国連を脱退すべきであるという、驚いたことに私と同じ意見を主張されます。

しかしそれからどうするか、という部分が苫米地流です。これについてはネタバレになってしまいますので、伏せておきます。

現在の日本に皆さんがうすうす感じている歪みの原因について、もしかしたら本書を読むことですっきりするかもしれません。

まさに、戦後は「洗脳史」だからです。


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2015年01月07日

『魔女狩り 西欧の三つの近代化』黒川 正剛



魔女狩りについて、非常に良くまとめられた良書です。

猟奇的な内容では無く、魔女狩りがなぜ、伝説や伝承にどっぷり浸かっていた中世では無く、近代黎明期のルネサンスの後のバロック時代に猖獗を極めたのか、という点に注目して書かれています。

しかし魔女狩りについて全く知識の無い読者も想定しているようで、まずは魔女狩りがどの辺りからどのような流れで発生したのか、ということから丁寧に説明されています。

いや、魔女狩りについて知っている読者にとっても、魔女狩りの伏線としてのカタリ派や異端審問、ユダヤ教徒やワルド派に対する偏見などについては、あまり知られていないかもしれません。

第一章では魔女狩りが始まるまでの伏線的時代背景について解説され、第二章で魔女狩りが始まった際に、ヨーロッパでどのようにして魔女像が共有されていったかについて説明されます。

第三章では、魔女狩りが猖獗を極めたバロック時代の魔女や女性に対する偏見が浮き彫りにされます。

そして第四章で魔女狩りがどのように終焉を迎え、ヨーロッパが近代化を始めたかが語られます。

本書の特筆すべき部分は、魔女狩りの始まりから終わりまでを俯瞰するについて、三つの視点から解釈を試みているところです。

3つの視点とは、「視覚を中心とする感覚の近代化」「自然認識の変容と近代化」「他者・社会的周縁者の排除と近代化」です。

特に視覚による魔女の物語が言説化し、ヨーロッパの人々をヒステリックにしてしまう過程、つまり、想像や妄想による思い込みが現実を動かしてしまうという社会現象への考察は、非常に精緻です。

魔女狩りについて知らない人にも良いガイドブックですが、魔女狩りについて詳しいぞ、という方にとってもさらに思索を深められるという意味でも、是非読んで欲しい一冊です。


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2015年01月06日

『釈迦とイエス 真理は一つ』三田 誠広



以前、三田氏の『ダ・ヴィンチの謎 ニュートンの奇跡』(祥伝社新書)を読み、非常に面白い比較をされていたので、今回も期待して本書を購入しました。

結論を先に書いてしまうと、少々がっかりしました。

釈迦とイエスそれぞれの思想ができあがるまでの時代背景の解説と両人の人生についての解説は非常に分かり易かったのですが、それぞれの思想の解説に入ると、既存の解説本のキュレーション的な内容で物足りませんでした。

それでも、釈迦入門、あるいはイエス入門としては、押さえるべき所は押さえた、とも言える基礎的な解釈は丁寧になされているので、仏教やキリスト教の初心者には読みやすいかもしれません。

ただ、既にある程度仏教やキリスト教については知っている、という読者には物足りないでしょう。

もっと、著者ならではの鋭い深読みで驚かせて欲しかったという印象が残りました。

また、もう一つの物足りなさは、最終章に釈迦とイエスの思想をどうやって現代に活かすか、という内容がありますが、そこでグローバリズムの悪質な部分を明らかにしたところまでは共感したのですが、それに対する姿勢として、「ほどほど」やら「隣人愛」やらが出てきたのでがっかりです。

つまり貧しくても不幸でも、考え方を変えて現状で満足しましょうと。欲を無くしましょうと。もう、成長をやめましょうと。

ちょっと左翼がでちゃいましたかね。

それでは外交の上でも経済の上でも、日本に発展途上国に戻れと言っている様なものです。

従いまして、最終章(第5章)以外はお勧めです。


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2015年01月05日

『「フルベッキ写真」の暗号』斎藤 充功



大変面白く、読み始めたら途中で止められない歴史ミステリーものでした。

歴史好きな人、特に幕末史が好きな人達の間では有名な「フルベッキ写真」という、不思議な写真があります。

一組の西洋人の親子と、それを囲む44人の若き侍たち。

この写真には幕末から明治維新にかけて活躍した英傑達の若き日の姿が映されていると言われてきました。

西郷隆盛、大久保利通、中岡慎太郎、坂本龍馬、伊藤博文…。

しかしそのような写真を撮影することが可能だったのでしょうか。歴史研究家たちや推理作家たち、あるいは在野の研究家たちは様々な推理や検証を行い、この写真の謎に迫りました。

しかし謎は深まるばかりです。そして謎が深まった頂点に、この写真にはさらに大いなる謎の人物が写っているとの説が流布します。

それこそ、後の明治天皇となったとされる大室寅之祐なる人物が写っているという説です。

この謎は、明治天皇が孝明天皇の子息では無いという替え玉説、そして孝明天皇は伊藤博文に暗殺されたという説、そして現代の天皇は実は北朝では無く南朝であるなどなど…。

確かに私も以前から不思議に思っている事実がありました。

それは皇居に楠木正成の像があることでした。

「北朝にとっての朝敵である楠木正成が何故ここに?」

本書は伊藤博文を暗殺した(実はそれも怪しいことが本書で分かりますが)安重根が処刑される前に語った伊藤博文の罪についての謎解きのために、著者が自らハルビン駅を訪れるところから謎解きの旅が始まります。

長い旅ですが、あっという間に読めてしまいます。

あまりに急いで読んでしまったため、どのように謎が解かれていったのかを忘れてしまい、もう一度読まねばならなくなっている状況です。

幕末の歴史に興味が有る方、天皇家の謎に興味がある方、歴史小説が好きな方、ミステリーが好きな方──本書は眠れない夜を保証してくれることでしょう。


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2015年01月04日

『新史論/書き替えられた古代史 3 聖徳太子と物部氏の正体』関 裕二



関裕二氏の歴史解釈は大変ユニークであり面白いと常々感じております。

暫く同氏の著書から遠ざかっておりましたが、今回は聖徳太子に関するテーマということで久しぶりに購読してみました。

実は聖徳太子について、将来調べたいことがあったので、ヒントが有るのでは無いかと期待したのです。

しかし結果は残念でした。本書では聖徳太子の話はほとんど出てきません。聖徳太子を語るための前振りが、異常に長くなってしまい、結果的にそちらがメインテーマとなっており、聖徳太子については数ページで片付けてしまっていました。

確かに本シリーズの中で本書は、ヤマト建国から6世紀までの歴史を語ることが課せられた位置づけですから、シリーズ全体の中では至極まっとうな記述内容となっているのだと思われます。

しかし本のタイトルに「聖徳太子と物部氏の正体」と書かれている以上、やはりその部分に期待してしまいます。

古墳時代、物部氏と蘇我氏、雄略天皇や継体天皇あたりについて詳しく知りたい、という人には面白い本です。

ただ、私の様に、タイトルの「聖徳太子と物部氏の正体」に惹かれて購入してしまうと、がっかりします。


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2015年01月02日

『マスコミが絶対に伝えない 「原発ゼロ」の真実』三橋 貴明



単行本で300ページを超える厚みのある本です。

福島第一原子力発電所の事故直後、様々なニュースから「原発は恐ろしい」と感じ、しばらくはブログでも原発を無くすべきであると言う記事を投稿していました。

しかし、記事を書くためにいろいろと調べるほど、「はて、本当に脱原発は正しいのか?」と疑問に思わざるを得ない情報が出てくるのです。

そのため、私のブログでもだんだんと脱原発色が薄れ、逆に原発は必要だと考えるように変わってきました。

本書は、私の様に、脱原発運動に少しでも疑問を持たれた方には、モヤモヤとした霧を一気に晴らしてくれる本となります。

著者の三橋貴明氏は徹底的に客観的な情報と現実を分析調査し、現在の日本国民の多くが陥っている電力に関する都市伝説を打ち砕いてくれます。

そのため、本書ではまず、マスコミの情報操作からの洗脳を解くために、かなり基礎的な電力関連知識の解説から始められます。

その知識を得た上で、「脱原発」論者達の主張が、ますます日本国民を危険にさらし、国家経済を弱体化させるという構造について、それこそ渾身の筆力をもって説明していきます。

私たちは、再生可能エネルギー政策の欺瞞や、電力自由化の陥穽に気付かなければなりません。

世論ほど当てにならないものはない、ということを、今回も三橋氏に気付かされました。

本書執筆に辺り、著者は日本中の原発を取材しておりますが、そのバイタリティにも敬服します。(当方も取材で原子力開発に係わる関係者の何人かにお話しを伺いましたが、彼らの日々の努力と研鑽には敬服しました)

なお、後書きは気鋭の評論家である中野剛志氏で、この後書き『「三橋貴明」試論」も読み応えがあります。

日本の電力政策が危機に陥っていることを知るためには必読の書ですが、脱原発論者にこそ、本書に反論するために読んで欲しい一冊です。


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