2013年08月12日

『白熱講義! 日本国憲法改正』小林 節



ニュース関連のブログを書いていながら、なんとなく避けてきた分野がありました。それが憲法改正問題です。

憲法については、以前小室直樹先生の核心を付く憲法論を読んだはずなのですが、恥ずかしながら、遠い昔のこととして忘れておりました。

そこで、書店で見つけた本書を試しに読んでみたところ、これが大当たりでした。

私はなんとなく改憲論派だったのですが、今ひとつ依って立つ論理武装は出来ずにおります。

そんな私にとって本書が大変に役立ったのは、本書では憲法とは何か、というところから実に明快に解説してくれており、その知識を読者と共有した上で、憲法改正の意義がこれもまた論理的に解説されております。

著者は改憲論者ですが、決して安倍政権の憲法改正と同じ主張はしておりません。著者は冷静に、中立を保ちつつ、安倍政権の憲法改正の内容を、賛成できるものと賛成できないもの、あるいはどう見ても憲法を理解出来ていない主張であると区別して評価しております。

その一つ一つに対して、実に腑に落ちる説明が成されており、そもそも憲法って何? 改正って必要なの? という人にとっては間違いなく良書であるとお勧めできます。

国民が国家権力を、詰まりは官僚や政治家をコントロールするためのツールが憲法です。その基本を押さえておけば、憲法改正論のいずれが改正で、いずれが改悪であるのかが見えてくるでしょう。

本書はそのための、大変に優れた入門書となります。

また、憲法は人間が作ったツールである以上、不磨の大典ではありません。ましてや神が刻んだモーゼの十戒でもないのです。

現行の憲法が作られた経緯や作られた当時の時代背景、国際環境や日本の国力から大きな変貌を遂げた今、憲法だけが古式然として不変であることの歪さを感じないわけには行かなくなるでしょう。

第一章では、憲法改正の動きについて見ていきます。

第二章では、そもそも憲法とは何か、について復習します。

第三章では、9条改正の本質を解説します。

第四章では、憲法に対する誤ったイメージを分析します。

第五章では、天皇の憲法上の解釈を考えます。

第六章では、憲法で守られるべき人権について考えます。

第七章では、自由民主党が掲げる改正案を検証します。

憲法改正に関する議論が活発になっていく今、呼んでおくべき本だと想います。


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2013年08月02日

『独学術』白取春彦



独学と言っても、本書が対象としているのは資格取得などのスキルアップ系ではなく、主に教養を身に付けるための独学です。

ですから冒頭から「学習」というのは低レベルであり、「独学」こそ、本当に学ぶということだと主張しています。

従って、「生涯学習」という言葉については、大人になって今更何を「学習」するのか、と少々きつい物言いから本書は始まります。

従って大人は、「学習」ではなく「独学」しなければ、教養は身につかないと述べます。

また、「情報」と「知識」も異なり、ネットで調べることができる「情報」は一時的にしか役立たないものだが、書物で得られる「知識」は長く役立つと主張しています。この辺りに著者の偏見を感じました。

すなわち本書の主な主張は、「教養を身に付けたければ本を読むしかないでしょう」ということです。

たしかに読書こそが、最も教養を身に付けるに相応しい手法だとは思いますが、それ以外を低俗と切って捨ててしまうのは、あまりに偏狭だと感じました。

また著者は西洋の文化的教養、特にキリスト教に関する知識こそが世界を理解するに必要な教養で有り、仏教などの東洋の文化的な教養は不要だと言わんばかりに軽んじている辺りに、著者は単なる西洋かぶれなのではないかと、思えてしまいました。

この辺りになってくると、この著者は、本当に教養人なのだろうか?と疑わずには居られなくなってきます。

ただ、読書に対する姿勢については、難解な本を読みやすくするコツや、斜め読みの効用など、読書の幅を広げるヒントが書かれておりましたので、得るものがありました。

第1章では、学習と独学の違い、情報と知識の違いを述べます。

第2章では、難解な本を読むこつや、実は解説書は原典よりも分かりにくいことが多い、ということを解説します。

第3章では、教養と何か、について、特にキリスト今日の知識を学ぶ重要性について述べます。

第4章では、外国語の学び方について紹介します。

第5章では、調べる方法や、結論よりも考え方を学ぶ重要性にについて紹介します。


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2013年07月28日

『経済学者の栄光と敗北 ケインズからクルーグマンまで14人の物語』東谷 暁



今、世界中でケインズが見直されています。それも、ニューケインジアンではなく、オリジナルのケインズです。

現在、日本でもアベノミクスは金融緩和と財政出動(半端ですが)が行われ、一見ケインズ政策が見直されているようにも見えます(といっても、竹中平蔵などが、規制緩和至上主義あるいは市場至上主義で邪魔をするでしょうが)。

では、なぜ今頃ケインズが見直されているのでしょうか。そしてなぜ、ケインズが封印され続けてきたのでしょうか。

その答えが本書には書かれています。

本書は、ケインズ以降の主な経済学者を取り上げ、その基本的な主張だけでなく、人としての成り立ちまで紹介しているので、たくさんの経済学者のプチ伝記を読む様な楽しみ方も可能です。

しかし、著者が、必死に公正である立場を維持しながら、ケインズ以降の経済学者達の理論を紹介しているところは、非常に好感を持てます。

ただし、現在の経済学者は、その是非はともかく、皆、ケインズの影響下にあるということで、ケインズには特別に多くの紙数が費やされています。

しかしこれは大正解です。ケインズが分からなければ、反ケインズも分かりませんし、ケインズを封印してきた新自由主義やマネタリズムといった流れも理解しにくくなるからです。

本書でも触れていますが、リーマンショック後にポール・R・クルーグマンが言った、

「経済学は良くて無力、悪くて加害者」

の皮肉も、本書を読めば、より意味が分かることでしょう。

それにしても、ジョン・M・ケインズの経済学史における巨大さには、改めて感嘆しました。

本書で紹介されている経済学者は以下の通りです。

ジョン・M・ケインズ
ポール・A・サミュエルソン
ジョン・K・ガルブレイス
ハイマン・P・ミンスキー
ミルトン・フリードマン
ゲーリー・S・ベッカー
リチャード・A・ポズナー
ロバート・E・ルーカス
フリードリヒ・フォン・ハイエク
カール・ポランニー
ピーター・F・ドラッカー
ポール・R・クルーグマン
ロバート・J・シラー
ジョセフ・E・スティグリッツ

天才達をざっと眺めるには、手頃な本です。


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2013年07月23日

『まず「書いてみる」生活―「読書」だけではもったいない』鷲田 小彌太



本書は定年退職した人に対して、出版することを目指して本を書くべし、と進めている本です。

ただ、ハウツー物だとおもって購入された方には少々物足りないかもしれません。

いや、確かに文章を書くノウハウについても触れられてはいるのですが、それほど画期的なことは書かれておらず、どちらかというと、「ものを書く事は、これほど日々を充実させてくれますよ」と語りかけているエッセイですね。

ただ、私にはそれが面白かったです。私も商業出版の経験がありますし、最近では電子書籍なんぞをセルフパブリッシングで楽しんでいるくらいですので、今更文章を書くノウハウを切実に求めていたわけではありません。

ですから、本書は、「書き方」ではなく、「書くことの楽しみ」を教えてくれる本だと言えます。そのように捕らえれば、非常におもしろく読めました。

ただ、「定年後」に拘る必要はなく、現役で仕事をしている人でも、本書は読んでみて構わない内容です。

実際、私はまだ退職しておりませんが、本書に書かれている書く事の充実感は、今からでも楽しみたいと思っており、既に実践しております。

序章では、書く事が如何に生活を充実させるか、読書だけでは何がもったいないのか、ということを述べます。

第一章では、人は定年を迎えた年齢に達すると、書く能力が開花し、またそれなりに書きたいことがあるものだ、ということを述べます。

第二章では、定年後に抜け殻にならないためにも、書く事は必要であり、この書くというハードな仕事を続けることで自分を再発見できるのだ、と述べます。

第三章では、ようやく書くノウハウについて触れています。長文は短文さえ書ければその集まりである、という部分は、わたしの著書の主張と同じでした。

第四章では、どうせ書くなら出版を目指し、自分の著書が本という形になったときの喜びを味わうべきだ、と述べます。

第5章では、再び書く事が人生を充実させ、著書を持つ事の喜びについて述べます。

全体的に、メッセージが重複している感がありますが、エッセイとして読めば、かなり楽しめる本です。

是非、定年を待たずに読むことを進めたい本です。


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2013年07月16日

『日本人のためのKindle入門 (Forest2545Shinsyo 85)』松宮義仁



正直申し上げて、予想以上に内容が薄かったため、読むのが遅い私でも通勤電車1往復で読み終えてしまいました。

文章量も、段落毎に空行でスペースを稼いでいるので、かなり少ないのだと思えます。

しかも内容は、目次を読めばそれで十分と言った印象でした。つまり、見出しで想像できる以上の事は本文に書かれていない印象ということです。

結論を述べますと、Kindleダイレクト・パブリッシングにより誰もが電子書籍を無料で出版できるようになったが、電子書籍など金にならない。
それよりもKindleダイレクト・パブリッシングの正しい(つまり稼げる)使い方は、100円の安い(当然内容も重視していない)電子書籍を出版し、それをFacebookで宣伝しまくってベストセラーにし、本当のビジネス(セミナーなど)への勧誘や、顧客リスト作りに利用する事だ。という内容です。

はい、以上のことを知ってしまった皆さんは、もう読み終わったようなものです。

この内容で900円は高いと感じました。まさに著者が提唱している100円のフロント商品なのではないかと感じました。

ただ、本書にはテーマとは関係の無い、読書の重要性について述べられておりましたが、こちらこそは、当たり前ですが忘れかけていた大切なことを思い出させてくれたという意味では有意義でした。

第1章では、Kindleと従来の紙の本の違いについて述べます。

第2章では、読書の大切さを述べます。ここはKindleとはあまり関係ありません。

第3章では、売れる電子書籍の書き方を伝授します。内容では無く、検索にヒットしやすいタイトルこそ重要だと説きます。ただ、電子書籍の作り方(データの作り方や変換方法など)を期待している人には全く役に立ちません。データを作ってアップせよ、としか書かれていないからです。

第4章では、本書の肝となる部分で、電子書籍をFacebookで宣伝してベストセラーにすべし、と書かれています。

第5章では、電子書籍など儲からないが、本当のビジネスのための客集めには役立つのだ、という本書のメインテーマが語られます。これが、Kindleで儲けるということです。

第6章では、これまで述べたことを繰り返すべし、と述べられています。

本書に書かれていることはノウハウとしては間違ってはいないのでしょう。

本書が主張することを、真面目に実践すれば、確かに儲けられるのかもしれませんが、電子書籍市場の劣化は促進されることでしょう。


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2013年07月07日

『未来の働き方を考えよう 人生は二回、生きられる』ちきりん



ある人が、ちきりんさんは面白い、と評価していたので、この著者の本を読んでみようかなぁ、と思っていたら、丁度新刊が出たので発売日当日に書店で購入しました。

なるほど、考えは同じではありませんが、常識だとか、当然だとか考えていることに首を傾げているような著者の考え方には親しみを感じました。

年金の支給もままならない、いつリストラされるかわからない、昇級も期待できないし、出世もままならない、そしてなにより、企業が従業員の生涯を保障できないこんな時代に、一生に一つの仕事や一つの職場にしがみついて生きていることは、それほど大切ですか? 現状維持に逃げていませんか? との問いかけには、確かに日々の忙しさや惰性の中で目を背けていた問題を突きつけられたような痛みがあります。

そして本書の結論は、寿命も延びた現代、一生の仕事は一つと考えずに、せめて二つの仕事をしてみませんか? というものです。

つまり、40代くらいになれば、人は仕事や社会のことが社会人なりたてのことよりもずっと良く見えているので、一度目よりも遙かに納得できる仕事や生き方を選べるようになっているはずですから、40代で一旦転職するか、独立やリタイヤといったもう一つの生き方を検討するべきです、というものです。

ただ、今ひとつ共感仕切れないのは、やはりこの著者自身が決して平凡な方ではない、ということです。

本書に書かれていることはいちいち共感出来るのですが、一つ抜きん出た能力を持った著者が語っていることが本書の説得力を今ひとつ弱めている原因ではないかと思いました。

それでも、いつ死ぬかわからない不確定な人生を、お金の為だけに嫌な仕事だけに浪費して良いのか、との問いかけには、頭を抱えざるを得ません

著者は、若くして(40代?)リタイヤし、楽しいことだけをやって生きる道を選んだ実績を例にしていますが、経歴を見れば、証券会社で働いた後、米国で大学院を出て、外資系企業に就職し、執筆活動に入り、今も好きな海外旅行をしながら暮らしているという、まことに羨ましい暮らしぶりです。

さぞ、充実した人生でしょう。また、著者は、組織に頼らなくても稼げるスキルの重要性を主張しますが、これもまた、この著者だから言えると、つい思ってしまいます。

要するに、読んでいる間は、「ふむふむ、なるほど」と共感出来るのですが、読み終わると、「結局、能力がある人だからこそ言えるんだよな。」と急に冷めてしまいました。

それでも、いつ会社の庇護を失うかわからない時代に、これからどうやって生きていくのか、そして一生つまらない仕事をして暮らしていくのか、という問いかけは、頭の中を巡り続けることになってしまいます。

ただ、本書は無駄ではありません。やはりだれもが一度は仕事や人生を見直すべきで、その見直し方のヒントは与えてくれます。

後は読者がそれぞれの境遇や能力、度胸に合わせて、自分なりの答えを出すしか無いのでしょう。

私もおぼろげながら、こうだったらいいなぁ、という程度の理想像は浮かんできました。

ところで、本書はなんとなく40代をターゲットにしているようですが、社会人であれば20代であろうと、60代であろうと、本書を読むことで、自分の人生を見直す良い機会を得られると思います。

全体を通して、押しつけがましさの無い、非常に読みやすい文体で綴られております。この辺りの読ませる文体は、さすが人気ブロガーです。


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2013年06月13日

『明治維新の極秘計画 「堀川政略」と「ウラ天皇」』落合莞爾



昔は大好きだった歴史物でしたが、社会人となってからはすっかり実用書や経済関連の本を偏独していたので、この辺りで久しぶりに歴史の通説をひっくり
返すといった本を探してみました。

そこで見つけたのが本書ですが、ここに書かれている内容が事実であれば、かなりショッキングな内容となっています。

すなわち、

孝明天皇の崩御は偽装であり、孝明天皇は「ウラ天皇」と成られた。

明治天皇は密かに大室寅之祐なる人物に入れ替えられていた。

小栗忠順(ただまさ)は米国に亡命して三井物産の設立に関わる。

などなど。これらの出来事はただ一つ、欧州王室連合による日本の皇室国際化への対策としての「堀川政略」なる政略の一側面での出来事であるというのです。

そして欧州王室連合は日本皇室がシュメール文明の正統的後継者であるとして認めていることや、日本が国際社会に開かれるためには、立憲君主による政治体制と、國體(こくたい)の維持のためにシャーマンとしてのウラ天皇が必要であり、それを実現するために「堀川政略」が図られたというのです。

これらが事実であれば、日本の歴史はひっくり返ります。

そして本書は、実に複雑な人的関係を丹念につなぎ合わせていきますが、その登場人物の多さと関係の複雑さ、そして恐らく著者が言いたいことを少々散らかし気味になっている事もあり、非常に読みにくい本となっています。

従って読み通すのに、かなり骨が折れました。

また、眉唾なのは、いずれの突飛なせつも「さる筋」からの「仄聞(そくぶん)」が根拠だとしていることです。

そのような意味から正直、かなり怪しいできばえとなっております。

信じるか信じないかは、読者次第です…。


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2013年05月26日

『まずは、「信じる」ことをやめなさい ~脳、宗教、歴史からわかった人を操る「サイン」の秘密! 騙されずにこの時代を勝ち抜くただ一つの方法』苫米地英人



うーむ、微妙な本でした。それにしてもタイトルが長いです。

苫米地氏の本はだんだんエンターテインメントとしてのおもしろさが優先され始めているような気もしますが、それはそれで、市場調査の結果なのでしょうか。

テーマは良いです。宗教への信仰や権力による洗脳に縛られる事で、幸せになれなくなりますよ、という主張です。

といいますか、この本のパラドックスは、「信じるな」と呼びかけている著者をも信じてては危険なのでは無いのか? と気付くことです。

本書の言わんとしていることはわかります。何かを信じた途端に、その人の精神や思考は、強烈に制約されてしまうということでしょう。つまり思考停止になります。

しかし私は著者の主張に異を唱えたいところもあります。

著者は聖書の言葉を引用しています。

「信じる者は救われる」

そして著者は、この言葉の意味を「信じればあなたを救います」という意味ではなく、「信じることそのものが幸せである」と解説します。

それは私も同じ考えですが、著者はそこに宗教や権力による、支配構造があるとします。そして支配された側は、本来の幸せを得られなくなるのだと。

しかし、私はイエスは正しいと考えます。なぜなら、洗脳されていることを自覚していないのであれば、少なくとも本人は幸せを感じていると思うからです。

幸せとは主観なのではないでしょうか。

著者は宗教からも国家権力からも広告からも自由になりなさい、と解きます。全てを疑い、全てから自由であることで、本来自分がやりたかったことが見つかり、幸せになれるとしていますが、それはどうでしょう。

著者自身が言います。「人は誰かを信じ、ついていくことで安心できる」と。

そうです。何もかもから自由になれば、その精神は不安定になるのではないでしょうか。

また、著者は「国家などなくなっても人は生きていける」とかなり乱暴なことを唱えています。これは説得力がありません。

人が生きていくのに必要な、最大の共同体がいまのところ国家でしょう。国家がなければ他の国家に支配されるだけで、放っておかれるはずもありません。

また、我々は公共施設を利用することもできませんし、災害からも救われません。

著者は全て民営化されるだろう、と述べていますが、民営化できるのは利潤追求が可能な分野だけです。

これだけ頭脳明晰な方が、なんとも粗雑は主張しているのには驚きました。

第1章では、信じる者が救われないとはどのような事かを説明します。

第2章では、人はなぜ宗教を信じるのかを分析します。

第3章では、信仰から自由になり、本来の自分を見つけるにはどうするべきかが述べられます。

第4章では、洗脳の基本は恐怖を与えることであると、その仕組みを明らかにします。

第5章では、国家による国民隷属化の洗脳テクニックについて明らかにします。

第6章では、「幸せを求める」こと自体が不幸になるのだ、という主張のおさらいをします。この辺りは釈迦の教えにかなり類似している部分で、その主張は良く分かります。

「信じる」ことや「信仰」といったものに疑問を持ったりあこがれを持っている人には、一読することをお勧めします。

それこそ、思考停止しかけている人にとっては、劇薬的な本かもしれません。


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『日本人はなぜ貧乏になったか?』村上 尚己



初めて読んだ著者の本ですが、非常になじみのある話題が盛りだくさんでした。

というのも、所謂自虐経済観を片っ端から論破するというこの著者の理論や分析結果は、三橋貴明氏や高橋洋一氏などの著書を良く読む人にとっては、周知の内容ばかりだからです。

それではつまらないかというと全くそのようなことはありません。

既に三橋氏や高橋氏になじみのあるひとにとっても、改めて、21項目の通説(つまり自虐経済観)を論破する方法で簡潔に書かれた本書は、リフレ派や財政出動派にとっても大変に便利な備忘録代わり、あるいは字引になります。

また、日本の経済ってどうなっているのか、という興味を持たれたばかりの方にとっては、デタラメな経済論(人口減少でデフレになるとか、増税しないと財政破綻するとか)を読んで洗脳されるよりは、本書をまず読まれた方が、マスコミや御用学者たちの言説に惑わされずに済む予防接種となります。

さらに、既に日本の経済はもうだめだ、という洗脳を受けてしまった人には、1項目を読み終える毎に、その洗脳が解かれていくことを、実感できることでしょう。

本書はこのように、21項目の経済通説をそれぞれのトピックとして取り上げ、片っ端から否定していきます。しかも否定する際には、統計、理論に基づき、しかも非常に分かり易い説明がされていますので、いちいち納得しながら、かつ短時間で読み終えてしまえると思います。

新聞やテレビの報道に馴染んでしまった人にとっては、ページをめくる度に目から鱗が落ちるといった間隔を持つかもしれません。

Chapter1では、日本は人口が減少しているからもう景気は良くならない、といったトンデモ理論を始めとする、もう不景気は仕方が無い理論を片っ端から論破します。

Chapter2では、デフレは庶民の味方であるとか、デフレは中国製品のせいだとか、ユニクロなどの安売りのせい、といったデフレの濡れ衣を晴らします。

Chapter3では、もはや金融政策では日本の景気は回復できない、という風潮を論破します。

Chapter4では、いよいよ的の本丸に責めるかのごとく、デフレを長引かせている犯人を暴き、そこから脱するための方法が述べられます。

Chapter5では、日本を諦めた途端に、恐ろしい事態がやってくると言うことが予言されます。

21の通説を、非常に明快に論破していく本書を、私は自分が経済に言及する際のリファレンスブックとして使っていこうと思います。


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2013年05月25日

『原発洗脳 アメリカに支配される日本の原子力』苫米地 英人



苫米地氏の本は、常に切り口が面白いので、あっという間に読み終えてしまいます。

今回も、巻頭から自分の思い込みが解かれました。すっかり報道に騙されていたのです。

マスコミは言いました。

「42年ぶりに、日本の原発が全て停止しました。」

ああ、そうなんだ、と、マスコミ嫌いのはずが、すっかり騙されておりました。

苫米地氏は本書の始めで、私が騙されていることを指摘します。

「日本の原発は、一つも止まっていません。」

え?

そうです。全て稼働していたのです。つまりマスコミの「停止」という言葉使いに洗脳されていたのです。苫米地氏は正しく言い換えます。

「停止したのは発電だけです。しかも核燃料棒の崩壊熱は止まっていないので、これを冷却しておくために、発電を停止した原発は、1時間当たり39万キロワットの電力を(火力発電所などから)供給されています。」

つまり「日本全国の発電停止中の原発を冷やしておくために、約40万キロワットの電力が必要」ということです。

これは盲点でした。

また、原発に対して常々持っていた多くの疑問への回答が本書にはあります。本書ではずばり言い切ります。

例えば「敗戦国の日本が核施設を持つ事を、米国が許している訳は何か?」という疑問について、本書はずばり、

「日本の原発はアメリカの核燃料置き場だ」

と答えます。なぜそう言えるのかは本書をお読みください。

他の例としては、原子力発電所の原始的な設備と技術です。

私が以前から不思議に思っていたのは、原子力空母(10万人都市に電力を供給できる)や原子力潜水艦では、動力源に原子力を使っていながら、あの狭い空間で乗組員が安全に生活し、また、どれほど海が荒れようと、戦闘が始まろうと、原子力エンジンは安全なのです。

それに比べて原発の危ういこと。何か、気味が悪いほどの技術差ではないでしょうか。

本書にはその答えが書かれていました。

第1章では、東電国有化の嘘、や計画停電が必要なかったこと、東西の周波数が統一できない嘘、発送電分離のまやかし、日本に原子力技術が有るという嘘等々について、原発にまつわる我々の思い込み(洗脳)を解くことから始まります。

第2章では、原子力の基礎知識を解説した上で、日本の原発技術の低さとその理由が説明されています。

第3章では、原子力の支配者の正体と、日本の原子力政策が誰によって決められているのかが暴かれます。

第4章では、原発にまつわる利権と、その巨大さを明らかにし、日本で原発が止められない理由が述べられます。

第5章では、日本の敗戦と同時に始められた原発に関する日本人への洗脳の実態が明らかにされます。

第6章では、原発がなくてもエネルギー問題が解決できることと、どうすれば原発を廃止出来るのかについて語られます。

驚くべきことのオンパレードといった内容ですが、核武装や国防といった視点からの章が無かったことが物足りないところです。


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2013年05月20日

『大好きなことをやって生きよう!』本田健



たまには簡単な本を読んでみよう、息抜きになるような内容が良い、出来ればついでに癒やされるとなお良い、そう思って手に取ったのが本書でした。

いや、何よりタイトルに惹かれたのでしょう。ほとほと本業がつまらなくなっていたので、『大好きなことをやって〜』というタイトルに興味が湧いたのです。

本書では、好きな事がわからない人の為にも書かれていますが、私の場合は大凡気付いております。

好きな事の一つは、恐らく「書く事」なのです。ですから、商業出版も二冊出しておりますし、ブログでも一定のアクセスを維持しておりますし、最近始めたKindleダイレクト・パブリッシングで出版した電子書籍は、毎月僅かばかりの小遣いをもたらしてくれています。

しかし、もっと好きな事にのめり込みたい、という思いと、本書にも書かれているように、「好きなことに打ち込むことの障害」を取り除きたい気持ちで、もしかしたら本書に答えがあるかもしれない、と思って読んでみました。

結果は、非常に読みやすく通勤の一往復で読み終えてしまいました。分かり易く平易な文章で、言わんとしていることもストレートです。

そして、ありました。好きな事をするのに躊躇する人の背中を押す言葉が満載です。

「あ、好きな事をやっていいんだ。」

そう安心させてくれる本です。ですから、本書を読み終えた私は、これからますます「書く事」に夢中になりたいと思います。

ただ、このようなご時世ですし、自分の才能に自信もありませんので、本業のサラリーマンは相変わらず生活の中心に据えたままとなります。

また、学生時代に夢中になっていた音楽を捨てたことについても、まるで私の事を知っているかのように、その理由が書かれていました。

それでも、少しでも好きな事をする時間を確保しようと改めて思わせてくれた本でした。

第1章では、なぜ人は好きなことをやらないのか、その原因を明らかにしてみせます。

第2章では、こんな時代だからこそ、好きな事をすれば良いし、好きな事をするのに、勇気すら不要である、ということを説明します。

第3章では、自分の好きなことがわからないのは、記憶喪失に似ている症状であるとし、好きな事を見つけるヒントが紹介されています。

第4章では、好きな事を始めると、様々な障害にぶつかる時期があるが、それをどのようにして乗り切ることが出来るのかを紹介します。

第5章では、良きメンターに出会うことの大切さが語られます。

第6章では、好きな事をやることでお金が付いてくるのかどうか、という疑問への回答が用意されています。

毎日をストレスに耐えながら渋々暮らしている人には、劇薬かもしれない処方箋となるかもしれません。


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2013年05月11日

『どんな左翼にもいささかも同意できない18の理由』西部 邁



タイトルに惹かれて購入してしまいました。勿論、著者が西部邁翁であることがより理由としては重いのですが。

人は(誰もが、とは言いませんが)若き頃に「左翼」あるいは「左翼的な」思想に憧れるのではないかと改めて思いました。かくいう私も大学生のころ、やや左翼的な気分を持ち歩いていたからです。

しかし、その後、若干の物を読んだり聞いたり見たりして、僅かながらの知見を増やしてみますと、あるころからどうにも左翼というものがバカに見えてきてしまうのです。

そこで、気がつくと、学生時代とは真逆な考えを持つに至ったのでした。

それにしても西部邁翁の学生時代は、行動する左翼で有りながら、あっさりと転向するのです。

本書では、老いた西部邁翁が若かりし頃の転向を回想している部分がありますが、実にさっぱりとしていて愉快なほどです。

さて、本書は扉に断り書きがあります。それは本書が扱うところの「左翼」の定義です。

一部を抜粋します。

「本書で左翼と呼んでいるのは、〜中略〜自由・平等・友愛・合理という価値の四幅対のすべてもしくはいずれかに強く執着して、modernismの生き方を、〜中略〜根本から疑ってみようとは絶対にしない類の思想のことである。」

つまり、所謂社会主義や共産主義者といった狭義の左翼を示していません。

ところで長い後書きで書かれている次の文章も痛く同感しました。

「『国を愛する』などと私はなかなかいえないでおります。それでも国から受けた恩恵のことを思わずにおれません。で、あるノーベル賞受賞作家が『国の世話にはならない』といったとき、『あなたは国道を歩いたことがないのか』とつい文句をつけたこともありました。私は自分が『国に報いる』義務を負っていることをあっさり認めます。シチズン(市民)とは『国家への義務を果たす代わりに国家から保護してもらう権利を手に入れた人間』と辞引にすら書かれている、と知ってもいるのです。」

このノーベル賞作家が誰のことかは書かれていません。台詞の間抜けさ加減からすると、大江健三郎あたりなのでしょうか。あくまで創造ですが。

本書はタイトルの通り18の理由(章)から成り立っております。その構成を見れば、本書の内容が大凡想像できると思います。

時には、このような書で、自分の持っている思想らしき物の正体を探ってみるのも悪くないと思いました。

以下、章タイトルです。

──

 現代の「腐儒」は左翼的良心

 「腐れ」から身を守るにはどうすればよいか

 左翼はいかなる意味で愚かしいか

 近代を「模代」と呼び替えてほしい

 革命という妄語、空語、虚語

 造反有理は無理もいいところ

 「国家への反逆」が「故郷の喪失」をもたらす

 伝統を軽んじるから言葉が塞ぐ

 天皇への涜神を歴史の拒否に利用するな

 「死ねないのが死ぬほど辛い」こともある

 平和とは「強者による平定」のこと

 国防を背に負えば「核」も胸に抱きうる

 国民の自立する地盤は領土である

 私の敵は「大衆人と専門人」の連合軍

 「民」は「主」になってはいけなかったのだ

 管理できないのに創造されつづける危機

 実存がない、伝統もない、活力はさらにない

 「日本の保守」そして「ジャパンの改革」といかないものか

──

若き日に、左翼的思想に憧れた大人にこそ、読んで欲しい本です。


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2013年04月25日

『日本防衛論 グローバル・リスクと国民の選択』中野 剛志



Amazonレビューでも、「真の国士」と讃えられるほどの著者の、渾身の著書です。

本書のタイトルだけを見ると、昨今の領土領海問題に対する軍事的脅威から、いかに軍事的防衛を行うか、というテーマだと思われてしまいそうですが、そうではありません。

本書が「防衛」すべしとしている脅威は、軍事的な脅威のみならず、「グローバルリスク」に対する脅威です。

それはより具体的な分類で表すと、「軍事」も当然ながら、「エネルギー」「食料」「自然災害」「気候変動」「世界金融危機」などです。

これらがグローバル化により、日本にとってかつて無い脅威となっていることを著者は警告します。

特に、これまではイギリスやアメリカといった覇権国家が存在したため秩序が維持されていた国際社会において、アメリカの衰退と共に、「Gゼロ」状態の国際社会が始まっており、そこには中国やインドといった新興国が台頭することで国際社会は秩序崩壊に至っていると指摘します。

著者は覇権国無き国際社会の危うさと、グローバル化により顕在化した様々な危機について警鐘を鳴らし、既に日本がそれらの脅威から国家を防衛できない状態であることを指摘します。

序章では、明らかなはずのグローバルリスクに襲われる度に「想定外」と責任逃れする専門家達を非難し、グローバルリスクを解決できない経済学の限界について述べます。

第一章では、覇権国家無き国際社会において、資本主義であることのリスクや、主流派としてはびこる新自由主義がもたらすリスクについて述べます。

第二章では、既に、あるいは今後どのようなグローバルリスクが日本を襲うのか、そのシミュレーションを行います。

第三章では、来るグローバルリスクに日本が備えていないどころか、むしろ危険に身をさらそうとしている政策を行ってきている危うさを指摘します。

再四章では、ユーロの失敗を初めとして、グローバル化がもたらした様々な国際社会の失政を指摘します。

第五章では、いよいよ中国の脅威について分析します。米国が中国を抑えられない事実、核兵器の戦略的な意義、日本の核武装について検証します。

第六章では、世界経済が停滞している原因を分析し、変貌しつつある国際社会の構造も分析します。

第七章では、この悲観的にならざるを得ない世界の状態と日本の状態を見つつも、対応すべき手立てはないのか、検証と提言が成されます。

救国の書となるか、諦観の書となるか、これは日本人が本書を読んで決めなければならない、そういった決意の元に記された書だと思います。

そして私は本書を読み終えた今、本書の著者が師と仰ぐ、西部邁氏の著書を次に手に取ったのでした。


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2013年04月07日

『誰も語れなかった沖縄の真実 ――新・沖縄ノート』惠 隆之介



以前、自分のブログで沖縄に関する記事を2回投稿したことがありました。

『日本の独立記念日「主権回復の日」は「屈辱の日」だとする沖縄で、「中国万歳」が叫ばれている』(2013/03/08)
http://newsyomaneba.seesaa.net/article/343466390.html

『ケビン・メア氏が沖縄県民を「ごまかしとゆすりの名人」と発言したことでいろいろ見えてきた?』(2011/03/09)
http://newsyomaneba.seesaa.net/article/189814234.html

しかし、上記投稿記事を書いている最中も、自分は沖縄について知らないことだらけだ、と思ったものです。

そこで、機会があったら沖縄について調べてみようと思いつつも忘れてしまっておりました。

それが先日、書店を徘徊しているときに本書を見つけ、「あ、そうだった」と思い出してすぐさま購入した次第です。

本書では、確かにマスコミがタブーとしている沖縄が語られております。私は「沖縄は日本じゃないな。あの政府へのタカリ体質は中国人だわな。」などと漠然と思っていたのですが、その考えこそ中国人や左翼の思うつぼということになります。

沖縄は、日本領土としてしっかり護らねば成りません。本書を読むと、予想以上に沖縄が左翼や中国による情報操作を受けており、教育にまでその手が伸びていることを知るに至っては、ぞっとします。

何もミサイルを飛ばすばかりが領土争いではありません。最も恐ろしいのは、内部崩壊です。

沖縄の反日・反米活動、政府へのタカリ体質は、思った以上に悪質です。また、沖縄の近代化に対して米軍が行った援助の数々については、私は全く知りませんでした。

とにかく、本書には、驚くべき沖縄が語られています。

第1章では、沖縄が如何に危険な状態にあるか、まずは予備知識としての沖縄の危機が語られます。が、この段階で、私は驚きの連続となってしまいました。

第2章では、普天間基地問題が、いかにマスコミによって歪められて解説されてきたかが語られます。特に沖縄の地元マスコミの悪質さには驚くばかりです。

第3章では、沖縄の歴史を振り返ることで、貧しい沖縄が近代化して豊かになる際に、米軍がどれほど援助を与えたのか、という全く知らない事実が語られています。同時に、なぜ、本土の人間がこのような歴史を知らないのか、ということに、沖縄についてのタブーを垣間見ることができます。

第4章では、前章の続きとして、米軍政下における沖縄が、どれほど豊かだったかが知らされます。仲井間知事が「本土に見捨てられた期間」だとか「米軍の圧制下」といったことを言っている様ですが、それらが全くの嘘であることが暴露されます。

終章では、沖縄統治の難しさと、沖縄県民の独自性を改めて認識し、正しい教育が急がれることと、領土問題としての沖縄の位置づけが再認識されます。

観光地としての沖縄、あるいは極一部の米軍人の起こした暴力事件の印象操作による沖縄しか知らない、と思っている人は、是非とも読んでおくべき本だと推薦します。

しかも急がねばなりません。いつ読むか?

「今でしょ!」

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2013年03月30日

『経済の自虐主義を排す: 日本の成長を妨げたい人たち』三橋 貴明



先の民主党政権で、有権者は多くを学んだのではないでしょうか。民主党に政権を委ねてみたら、「こりゃ、大失敗だった」と感じて、「やはりもっと有権者が勉強せねばダメだ」と思われた方が多いのかもしれません。

これは統計があるわけでは無く、私の漠然とした印象ですので、間違っているかもしれませんが、民主党政権下では、経済や政治関係を取り上げた本が多く読まれたような気がします。

その頃から書店でも、経済や政治、国際関係を扱った本のコーナーが目立つようになった気がしますし、Amazonのランキングにも多く登場するようになった気がします。

そのランキングや書店の平積みコーナーではもはやレギュラーになっていると言って良いのが三橋貴明氏です。

ただ、本書は三橋氏にはめずらしく新書です。

本書のテーマは、長いデフレの時代にはびこった「日本はもはや経済成長できない」論を主張している多くの(主流派と呼んでも良い)エコノミスト達や、それに引きずられてきた国民の持つ、「経済の自虐主義」とも呼べる誤った経済論を論破することです。

典型的な自虐主義者立ちの主張は以下の様なものです。

「韓国経済に学べ」「コンクリートから人へ」「年金は破綻する」「財政出同で財政破綻する」「金融緩和でハイパーインフレになる」「少子化がデフレの原因だ」などです。

これらはテレビや新聞で頻繁に目にし耳にする主張ばかりです。

しかし三橋氏は、これらの主張は「経済の自虐主義」にすぎず、いずれも根拠薄弱なデタラメであると論破します。

今回は特に、多くの著名な自虐主義者たちの個人名を明らかにし、それぞれの主張を統計的、理論的に論破するという胸のすく執筆方法を採っています。

また、私がかねてから売国奴だと思っている経団連についても、国益を損なってまで利益を得ようとするいじましい姿を指摘してくれたところが溜飲の下がる思いでした。

そして多くの経済・社会・国際関係の本を読んだのかもしれない国民が選んだのが、アベノミクスです。果たして成果を上げることができるかどうか。

第一章では、民主党政権がいかに経済を理解出来ず、国益を損ね、国民を不幸にしようとしたのかを断罪します。

第二章では、日銀を中心に、デフレを容認し続けた人達の名を上げて、批判します。

第三章では、経団連を中心に、国益より企業利益を優先させたおぞましい売国奴達の名を上げて断罪します。

最終章では、あの松下幸之助ですら、国家経済と企業経営を混同して誤った経済観を持っていたことを指摘し、経済自虐主義たちをいよいよ「バカ」呼ばわりして、国民は彼らの言論に乗せられてはいけない、という警告を発します。

常に物事を明快に分析して見せる本書は、その明快さ故に、あっという間に読み終えてしまいます。

まだ、自虐主義に陥っている方には、是非とも読んで欲しい本です。


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2013年03月20日

『尖閣どころか沖縄が危ない! 日本は中国にこうして侵略される! 初めて解明された侵略の原理と歴史法則』黄文雄(責任編集)



中国の膨張政策は、留まるところを知りません。昨今尖閣諸島の問題が目立っておりますが、中国の目指すところは尖閣諸島の先にあります。

そのことを知らなければ、日本はどうするべきかも分からないでしょう。

そのためには、中国がこれまでどのようにして他国を侵略し、領土を拡張してきたかを知ることが手始めに必要です。

さて、本書のユニークさは、一人の著者が執筆しているのでは無く、実際に中国によって祖国を追われた人々によって執筆(対談も含む)されている事です。

それだけに中国の侵略に対する恐怖への説得力があります。

執筆陣は以下の通りです。

黄文雄(こうぶんゆう)。1938年台湾生まれ。

宮脇淳子。1952年和歌山県生まれ。

ペマ・ギャルポ。1953年チベットのニャロン(現在は四川省)生まれ。

鳴霞(めいか)。1957年中国遼寧省藩陽市生まれ。

オルホノド・ダイチン。1966年内モンゴル生まれ。

イリハム・マハムティ。1969年ウイグルのコムル生まれ。

永山英樹。1961年埼玉県生まれ。

日本人2名が含まれていますが、他は様々な理由で中国から逃れて日本に安住の地を見つけた人達です。

その彼らが、再び安住の地(日本)が中国に侵略されると危機感を募らせて対談し、執筆しています。

「日本を南モンゴル、チベット、ウイグルの二の舞に決してするな!」

これが合い言葉です。

勿論、それらの侵略された地域・国と日本は状況が大きく異なります。経済力も異なれば、軍事力も異なります。また、世界との関わり方も異なります。

しかし中国は手段を変え、時間を掛けて日本を侵略するであろうと執筆陣は予想します。

それは中国の中華思想に現れているとします。

「天下王土に非らざるものなし」

つまり、中国には領土や国境という概念は無いと言います。現在の領土の向こう側は、次の領土でしかないのです。

それ故、中国は膨張します。

また、中国は侵略した土地の人々を虐殺する運命にあると言います。ある中国人は自らを「戮民」と呼びました。つまり、自国民も含めて殺戮を行う運命を持った民だというのです。

ですから執筆陣は恐れます。もし、日本が中国に侵略されれば、日本人は殲滅されるであろうと。誇大妄想ではありません。実際に中国はそれを実践してきたという歴史上の事実が示されます。

第一部では、留まるところを知らない中国の膨張政策について、執筆陣が対談します。

第二部では、執筆陣が一人ずつ、自身の体験を元に、中国が侵略国家であることを証明していきます。

若干、トラウマを抱えている執筆陣による中国脅威論ではありますが、平和ボケしている日本人には、これくらい生々しくかつ恐怖感たっぷりに中国を説明せねば、なかなか中国という国の恐ろしさが理解されない、という執筆陣の焦燥感も伝わってきます。

日本には経済力と日米同盟があるさ、と高をくくっている人達に、是非とも読んでいただきたい本です。

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『虚言と虚飾の国・韓国』呉 善花



韓流の延長か、それとも反動か、最近は韓国を批判する本が多く出ています。同時に、サムスンの業績を褒め称え、韓国的な経営や、グローバリズムに学ぶべきという真逆の評価本も売れているようです。

経済的な成功の嘘については、三橋貴明氏のいくつかの韓国本を読めば多くのことを知ることができますが、経済的な面だけでなく、韓国人の性質、韓国という国の社会的な状況を知るには、本書でより詳しく知ることができます。

ちなみに、著者の「呉 善花」は「お・そんふぁ(O Sonfa)」と読みます。

本書では、これでもか、と執拗に韓国や韓国人の欠点をあげつらっています。読めば読むほどに、これまでネット上で見てきた反韓流の人達の批判など甘い、とばかりに韓国が批判されています。

反日依存症、歴史の捏造を平然と行い、過剰なエゴイズムが行動基準。そこにはもはや人としての倫理も感じさせません。

しかも著者は家族を母国韓国に残したまま日本に帰化し、韓国を批判する本を執筆しています。

当然、あの韓国ですから、彼女や彼女の家族は彼の地では「売国奴」として貶められています。

それでも呉善花氏は、韓国を批判し続けています。

本書を読むと分かってきますが、その激しく執拗な批判は、実は母国韓国に、立派な国家に成って欲しい、韓国人に、立派な国民に成って欲しいという、実は愛国心の裏返しの様にも感じられます。

それゆえ、日本人が聞きかじりで書くような批判を超えた、激しく韓国に肉薄した批判になるのでしょう。

本書の迫力は、著者が韓国を母国とする人であることに、間違いなく由来しています。とにかく説得力の強さは日本人の韓国批判など及びません。

第一章では、韓国人が持つ、民族的な自己中心主義について、多くの実例を示しながら紹介します。

第二章では、韓国人が自分の非を認めない、整形共和国とまで自称するほど見た目を重視し、肩書きや出身を重視する虚飾の文化を紹介します。

第三章では、韓国人がいかに嘘つきで、虚勢を張る人達であるかを紹介します。そして、何故、これほど嘘が蔓延した社会に成ったのかを分析します。

第四章では、この嘘や差別、虚飾にまみれた韓国社会を、実は韓国人(特に若者)自体が嫌悪し始めているということを、統計も参照しながら分析します。

特に強姦犯罪の多さは、目を見張るものがありますが、これは当方もブログで紹介しました。

『韓国初の化学的去勢命令。性犯罪が止まらない韓国』
http://newsyomaneba.seesaa.net/article/311380234.html

『韓国の性犯罪は過激で止まらない。もはや去勢しかないとの意見が出始めた』
http://newsyomaneba.seesaa.net/article/305019997.html

『(続)韓国の破廉恥さには目眩がする。性的犯罪国家は韓国である』
http://newsyomaneba.seesaa.net/article/297727339.html

『韓国の破廉恥さには目眩がする。性的犯罪国家は韓国である』
http://newsyomaneba.seesaa.net/article/294844966.html

サムスンに学べや、韓流に夢中という人達に、是非読んで欲しい本です。韓国の現実が嫌というほど分かります。

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『“脱グローバル化”が日本経済を大復活させる』三橋 貴明



私は、何かというと「グローバルな」や「グローバル化が」必要だと語る経営者やエコノミストにうさんくささを感じてしまいます。

なぜなら、彼らはきちんと「グローバル化」の何が良きことなのかということについて、語ってはいないからです。単に「グローバル化」という用語を、既に正しいことであるとして語っているからです。少し前の「IT」に似ていますね。

余りにも多くの経営者やエコノミスト、マスコミがグローバル化こそ良きことであると語るため、語られた方も、なんだかありがたい真言を聞いたかのように感じているのではないでしょうか。「ああ、そうだ、グローバル化が重要だ」と。

その途端、人々の思考は停止しているのです。

本書は、グローバル化がどのような状態を目標とした言葉であるのかを、実に明快にかつ簡潔に解説しています。ただ、その簡潔な解説を読者に理解させるために、執拗なほどに多くのページを割いて、デフレとインフレ、GNPとGNI、雇用と失業などの仕組みについて、解説し、経済ものに対する初心者にも、腑に落ちるまで丁寧に説明しています。

ですから本書は、経済には疎い、という読者にも理解し易く、あれよあれよという間に「グローバル化」の意味するところが理解できてしまうでしょう。

以上のことから、本書は非常に優れた入門書だと思います。同時に、我々を取り巻く大勢の「グローバル化」原理主義者らからの洗脳を解いてくれる、脱洗脳の書でもあります。

第1章では、グローバリズムは目新しいことではなく、過去にも同じ事を世界が目指したことが有ったことを紹介し、グローバリズムが失業と貧困の原因であることを解説します。

第2章では、ギリシャやスペインを中心に、まさにグローバリズムの壮大な実験場となっているユーロの失敗について解説します。

第3章では、グローバリズムをより理解するために、デフレがもたらす民主主義の危機や、ファシズムへの危機、飢えの危機、世代間闘争の危機、格差の危機について、その仕組みを解説します。

第4章では、お金の流れをたどることで、貯蓄の経済的な意味や、財政破綻論の嘘、所得とは何か、といった経済の基本を見直します。

第5章では、脱グローバル化こそが、雇用を拡大し、所得を伸ばすのだという理論的な結論を述べ、今世界がの趨勢が、グローバル化に懐疑的になっていることを紹介します。

「グローバル化」という言葉にうさんくささを感じている人は、本書で、その理由を明確できることでしょう。


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2013年03月14日

『尖閣問題。真実のすべて』石 平



孫崎享や副島隆彦といった反米系の人気評論家達が尖閣諸島は中国の領土であると主張している一方で、中国生まれの帰化人でありながら、尖閣諸島が日本の領土であることは明白であるとする石平氏は、今頃知って驚いたのだが、私と同じ1962年生まれでした(それはどうでも良い事ですが、何か親近感を持ってしまったと同時に、石平氏に比べて自分は何をやっているのか、と情けなくもなりました)。

それはさておき、石平氏は元々中国人であり、北京大学や四川大学で教鞭を執っていた程のインテリでもあります。

その彼が日本に帰化し、日本から中国を見ると、面白いほど中国政府の考えが見えてくるもののようです。

石平氏が中国を論じる際の強みは、中国人であったことで中国人の行動様式や社会風習を熟知していることと、中国の各種メディアや政府が発行する文字情報をネイティブとして理解できることでしょう。

そのため、日本人が見逃してしまうような微妙なシグナルを見逃しません。このことにおいては、日本人の中国評論家ではかなわないのではないでしょうか。

石平氏は、尖閣諸島が日本の領土であることは明白であっても、中国は、堂々とそれを奪いに来る国であることを警告します。

何しろ、中国は内政上の問題を抱えているからだと言います。

中国共産党は、中国大陸での王朝交代が常に民衆からの反乱によってなされたという歴史上の実績に怯えているがために、国民の不満や注意を外部に逸らしたいと考えています。その格好のネタが尖閣問題だというのです。

そして尖閣を護ることは、日本を護ることに直結する、その重要性を本書で強調します。さらに一部の識者達が主張している「棚上げ論」のナンセンスさと、危険さについては、是非とも本書で理解しておきたいところでしょう。

特に後半の識者二人との対談は、非常に有意義な内容になっています。その中でもなるほど、そういう解釈があったのか、と衝撃を受けたのは、山田吉彦氏が、国際司法裁判所で争っても、日本が不利である仕組みや、もはや実効支配以外に尖閣諸島を護る手段がないということの解説でした。これは是非一読されることを多くの人に勧めたいところです。

第1章では、本書の議論の前提として、尖閣諸島が日本の領土である根拠を復習します。

第2章では、ケ小平の「尖閣棚上げ論」の詐欺とそれに騙された屈辱的な日中外交史について触れます。

第3章では、石原都知事が尖閣購入を言い出したタイミングの意味と、そのことで中国政府に何が起きたかを説明します。

第4章では、中国が繰り返してきた侵略の歴史を見ながら、今後の中国の海洋覇権国家への計画を読み解いていきます。

第5章では、山田吉彦氏(東海大学海洋学部教授)との対談で、主に実効支配の重要性についての対談となっています。

第6章では、岡崎久彦氏(NPO法人岡崎研究所理事長・所長)との対談で、主に日米関係と対中国政策についての対談となっています。

今、目の前に迫っている危機を感じことが出来る尖閣問題の入門書としてお勧めです。


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2013年03月09日

『「世論」の逆がおおむね正しい-西部邁ゼミナール』西部邁



書店で本書を見つけたとき、そのタイトルである、

“「世論」の逆がおおむね正しい”

という西部節に久しぶりに出会って、嬉しくなって買ってしまいました。

大衆の大多数は大した知性を持ち合わせておらず、「分かっている人」というのは、間違いなく少数派なのだから、多数決など当てにならないのだよ、というのが本書のテーマでしょう。

ずばり言ってくれます。

ですから帯には、

「そろそろ民主主義なんてやめてはどうか?」

と書かれています。ダイレクトです。

そして、そのことの説得力は、まさに先の政権与党に民主党を選んだ日本国民を見れば、ほぼ証明されていると言えるのではないでしょうか。

ただ、個人的には、アベノミクスに期待している日本人が多いことが、もしかすると、民主党政権で痛い目にあった日本人の知性が、若干変化していることを示しているかもしれない、とも思っています。

さて、本書はTOKYO MX TVで放映されている「西部邁ゼミナール」という番組を元に作られた本です。

同番組は、毎回ゲストと西部邁氏が対談を行う構成になっていますが、そのうち西部邁氏の発言だけを抽出し、編集し、まとめ上げたのが本書となっています。

ですから、番組が元ネタとは言え、対談形式の本ではありません。西部邁氏の一人語り形式となっています。

それにしても、西部邁氏は、歳を召されたためか、以前よりもかなり優しい語り口調になっており、高度なテーマも、より理解し易い平易な言葉で語っております。

以前は、「分からない奴には分かってほしくなどない」といったやや高邁な雰囲気もまとっていた方ですが、最近は文章も、テレビでの語り方も、非常に優しくなっています。

西部邁氏にしても、角が取れるのでしょうか。

本書で西部邁氏は言います。

「戦後60年以上が経って、オツムの緩んだ選挙民は詐欺師に引っかかりたい体質、気質になっているのではないかとすら僕は思う。」

西部邁氏の語りの特長は、言葉の定義や語源をヒントに物事の本質にアプローチするといった手法が多く採用されておりその手法によって、世間がいかに歪で下品な言論活動を垂れ流しているか、ということをあげつらうことかもしれません。

ところが、読者である自分もダメだしされている側の愚かな大衆の一人であることを指摘されていながらも、その語り口調の愛嬌のせいか、あるいは圧倒的な知性のせいか、不快な気持ちにはなりません。

むしろ、「ああ、それも図星だ。」と、まるで体の凝った部分に指圧されて、痛いけど気持ち良い、という感覚に似ています。

本書はゼミナールということから、章ではなく、限目という区切りで構成されています。

1限目では、日本の指導者の程度の低さを示すことで、その指導者を選んだ国民の知性を疑って見せます。特にマニフェスト政治のいかがわしさと、そのいかがわしさが産んだ詐欺師である野田佳彦前首相と菅直人元首相の下品さについて言及します。

2限目では、東日本大震災で浮き彫りにされた、ヴォランティアの軽率さと、西部流の運命論あるいは宿命論について語ります。

3時限目では、エコノミスト達が語る経済政策に対して、その嘘を指摘して見せます。この辺りは全く同感できるところですが、小さな政府の嘘、地方分権論の悪質さ、政府債務が将来世代へのツケであるというデマ、一票の重みという欺瞞について論じます。

4時限目では、なにかというとグローバルを語る人達の気味の悪さ(というか、頭の悪さ)と、日米同盟への過度な期待について語ります。

5時限目では、少々小ネタを集めた印象がありますが、暴力団排除条例が警察の天下りを増やしていることや、喫煙者側から語る禁煙ブーム、賭博に見る人生の不条理、東電バッシングに見る世論やマスコミの幼稚さについて語り、結果として、東日本大震災の後、さらに日本人は劣化したのではないか、そして、そのことで非常に面白い世の中になってくる、という皮肉で締めくくられます。

西部邁氏の主張が正しいかどうか、ということよりも、物事のとらえ方、考え方を見直す機会を与えてくれる良書だと思います。


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